バトンタッチが大成功!!
   まじめな社長さんとベテランの専務さん   〜丸正食肉チェーンストア総本店の取り組み〜





 丸正食肉チェーンストア総本店(葛飾支部)は京成線お花茶屋駅から駅通りを歩いて5分の商店街の中心にある。
 「昔お茶屋があって、お花という娘がいた。ある日将軍が来て、その娘がお茶を出したそうです」社長が言う。
 創業者は平成8年に若き社長に店をゆずり、価格ラベルをパソコンで作っていた。
















昭和38年独立

 現在会長の丹野武男氏は昭和13年生まれの66歳。築地で肉屋の修行をし、昭和38年亀有の地で独立。41年法人組織にして今年39期になった。
 「最初は借金だらけで大変つらかった」
 レイ子夫人が始めた頃を振り返る。
 数年して金町(葛飾区新宿)に移転。そして、2度目の移転で現在の地に来た。
 「昔はすごい人でお祭のようだった。『よし、ここを買おう』と言って移ってきた」
 「その頃の商店街は賑やかだった。人がぶつかるくらい。スーパーもなかったから」
 「スリが出るほど。どこの店も混んでいた」
 麻生社長が昔を語る。

秋田と山形の少年

「親子みたいだね」
丹野会長夫人と麻生社長
長沢専務夫妻と井上さん

 麻生好信社長は47歳。31年前、16歳の時、南水元の店に集団就職でやってきた。
 いなかは秋田県の山の中、稲川町。今は「稲庭うどん」で有名だ。
 会長は山形の出身。会長夫人は稲庭の出身だった。しかし、社長はその縁で就職したのではなく、まったく偶然だったらしい。
 長沢秀幸専務は会長の甥にあたる。
 専務も山形から16歳で集団就職、いま51歳。
 「肉屋やって35年」
 ベテランだ。

お花茶屋の店

 丸正はチェーンストアとして発展。会長がすぐに独立させてくれて、のれん分けした店が25店にもなった。
 「だけど私だけ独立させてくれなかった」
 社長が笑みを浮かべて振り返る。
 お花茶屋の店ができたのが27年前。

丹野会長と長女の伊藤順子さん

 会長には子供が3人。男の子と女の子ふたり。息子さんは日本医大で博士号を取得、まもなく水元で医院を開業の予定。
 「かえって良かったかな」と夫人がぽつり。
 上の娘さんが結婚して店を手伝い、住まいにしている。しかし、ご主人は会社員。
 会長夫妻は水元からご出勤だ。
 南水元の店は現在、レイ子夫人のお姉さんが経営している。









凸凹コンビで

 平成8年、店舗を改築したのを機に、麻生社長と長沢専務に全権を委託。
 「全部まかせている。安心してご隠居になった」
 「仕入れから支払いから、料理まで全部。張り切ってやってくれている」
 夫人が目を細める。会長は奥でパソコンを使ってラベル作りに専念。

惣菜が6割

 社長が特に力を入れたのが惣菜。様々な種類が並ぶ。
 「全部手作り」
 パートさんが6人。朝6時半から1週間のメニューに従って作っていく。合計で30品目。
 シチューは3日くらいかけてお肉を柔らかくして。ハンバーグはそのままチンして食べられる。大根のそぼろあんかけはひとり1個で十分。ごぼう料理は家であまりできないから。「ピリ辛コンニャク」もおいしい……
 しかも毎日メニューを替える。ひとりものにも好評だ。
 餃子はあんでも売っているから包んで焼くだけだ。
 「ここでヒントを得てお肉を買っていく人もいる」

お昼の弁当も

社長夫人・むつ子さん

 昼には弁当もやっている。500円でみそ汁をサービス。
 近くの学校や会社やタクシー運転手で行列ができる。
 貝柱入りの豚まんも人気だ。
 夕方からは会長夫人自ら焼き鳥を売る。
 「閉店間際になると100円でその日のものを売り尽くす」




お客様が大切

 「卸をやると小売りがおろそかになる。卸に好きな部分を持っていかれると、残りを店で売ることになる」
 「卸の人はよそで安いのがあると行ってしまう」
 お店に通ってくれるお客様を大切にする社長。訪問の時、台風が近づいて前線の影響で大雨の降っている昼下がりにも関わらず、お客様がひっきりなしに訪れる。
 お肉のカウンターには神戸牛・米沢牛が整然と豊富に並ぶ。
 「お刺身で食べられる」
品質も折り紙つきだ。
 そして「定価の五十円びき」「雨の日大サービス」「本日のおすすめ」「包んで焼くだけ」という会長手作りのカードがいっぱい並ぶ。


    〔2004年(平成16年)10月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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