お肉のことなら絶対の自信
       〜肉の松阪の取り組み〜





 肉の松阪(葛飾支部)は、JR常磐線金町駅北口を出て左へ行くとすぐにある。
 駅前には「東急ストア」、そして店のまん前に「イトーヨーカドー」がある。















店に入ると
カルビを並べていた

 すし屋になる筈

 店長の小沢進氏は昭和28年11月生まれの51歳。埼玉県東松山出身、3人兄弟の末っ子で次男坊、家は農家で貧しかった。
 「おやじも次男で四谷三丁目でそば屋をやっていたが、長男が亡くなって、家を継いで百姓になった」
 冬場は川越に出てそば職人をしていたと語る。
 中学を卒業する時に父親から「高校で3年勉強するより、社会へ出て3年勉強して、仕事で負けないようになりなさい」と言われて、就職の道を選んだ。
 15歳の時、縁があるのか四谷三丁目にある新宿丸正本店に就職。そこのすし部に入った。

 ☆肉屋のスタート

 ところが、すし部がなくなって精肉部へ配属となった。肉屋としてのスタートだ。
 「苦労はしていないネ。恵まれていた」
 農家を手伝った時は、田植えもした、麦踏みもした、蚕も飼った、馬もいた。朝早くから夜まで百姓はきつかった。
 それに較べたら肉屋は楽だった。先輩のイジメはあったが「次男坊だから要領がいい。白を黒と平気で言った。先輩に嫌われたら仕事を教えてもらえない」そして「四谷三丁目から東松山へ帰る電車がわからないから、帰りたいけど帰れなかった」
 多勢入社したが、ほとんどやめていった。
 店番を1年、牛肉を触らせてもらうまでに1年。先輩の使い古しの小さい包丁で、ガラについた肉をはがして骨の形を覚えた。しかし3年経つと自分が一番上になってしまって、もう少し覚えたいことがあった。

 ☆先輩の引き抜き

 丸正は当時支店が200店舗あり、そのひとつの松戸の久慈商店に先輩がいて引き抜いてくれた。ここは問屋さんで、3年間働いた。
 その後その納品先であった大金平ストアの葛飾区西水元の支店開店の際に小売の主任となった。
 また当時の松阪が同じく納品先であったのだ。

 ☆師匠に出会う

 その頃、金町駅の反対側の出口のすずらん通りにあった高木商店が現在の松阪を支店として開店。2代目の宮原聡社長と妹が経営していた。
 久慈商店が納品していたことで、顔見知りになっていて、ある時「やってくれないか」ということになって、開店から1年経った頃に店長をまかされた。
 松阪という店名は、開店の際「一番」か「松阪」かで選んだ屋号だ。
 それ以来、途中5年間ほど他の人にまかせて自分が南水元に店を構えたことがあったが、現在のところが常に自分の店と思ってやってきた。
 そして宮原社長を小沢さんは今も師匠と仰ぐ。

 ☆肉へのこだわり

 「開店から順調に来ている。自分の『こだわり』がお客様に通用している」
 一番の頑固なこだわりを尋ねる。
 「きれいな牛より、うまい牛を」
 きれいな牛は使いやすく、切りやすいが、うまい牛は脂がトロっとして、しまらなくズルズルしていて切りずらい。
 「銘柄にはこだわらない」
 有名になる銘柄はいい牛のパーセントが高いだけで、銘柄には関係なくいいものはいい。
 問屋が選んで持って来たものを、自分の目で選別して購入する。牛ロースは自分で骨をぬく。
 「牛肉のことは勉強しました。問屋との駆け引きで言い返せるだけのものを持っていないと、お客様にも商売にならない。いつになっても失敗はあるけど…」
 と笑った。

 ☆宅急便と遠くの客

 昨年の暮、宅急便で50〜60軒に牛肉を贈った。パソコンで顧客の管理を始めたばっかりで、正確な数字がつかめない。
 宣伝は一切なしで5年前に始めて、徐々に浸透し、ここまでなった。電話だけで信用して注文が来る。
 「ヒレステーキ3枚、サーロイン3枚で2万円になる」
 また、遠くから来てくれるお客様も多い。
 「遠くの三郷・足立・松戸とかからね」
 口もなめらかだ。

 ☆大型店を利用

 駅前とまん前に大型店があるが、昼間の取材中だけで10人近くのお客様。
 「ヨーカドーがお客様を呼んでくれる」
 松阪が後からできた。それでもお肉のいいものにこだわる人を取り込んで、大きい所をうまく利用して商売繁盛につなげた。立地条件をどう活かせるかの見事な答え。
 よく言われる「いいお肉屋さんがない」「いいお客様がいない」の双方への答えとして小沢さんは「いいお客様はどこにでもいる。お肉屋さんがんばれ」と。
 「いいものを売りたかったら、種を蒔いていかなかったら芽が出ない」

 ☆牛肉で勝負

 惣菜・揚げ物はまったくない。肉だけで勝負だ。
 BSEの騒ぎの暮れだけは売上げが減って区の融資を受けたが、売上げは順調に来ている。
 BSEの騒動も消費者に詳しく説明していれば、大きくならなかったと残念がる。
 「違う部位の肉を加えるともっとおいしくなる」
 関西の肉料理の秘訣も伝授された。
 余った肉は佃煮にして売っている。

 ☆小学2年の男の子

 結婚は最初の就職先で一緒だった伊津子さんと、21歳の時だった。
 「金のわらじ。東松山のひとつ先の花園インターの寄居の人、花が好き」
 結婚記念日が数日前。
 「ばらの花を10本」
 火曜日が定休日で、子供との接点がなかったから、誕生日や結婚記念日を大切にしてきた。
 娘さんがふたり。上の娘さんに、もうすでに小学2年の男の子のお孫さんがいる。
 「銭湯行ったり、キャッチボールやったり、男の子はかわいい」
 後継者はいない。
 「一代限りだ。肉屋に悔いはなし!」
 きっぱりと言った。






    〔2005年(平成17年)3月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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