新装開店して1か月    〜岸商店の取り組み〜




 糾ン商店(大崎支部)は、8月18日新装開店して1か月が過ぎたばかりだ。
 2年間仮店舗での商売で、ランチの販売を開拓して、売上げの一翼を担うようになった。


 父が新潟から

 店長の五十嵐康雄さんは昭和17年4月生まれの63歳。父の熊吉さんが新潟から上京、肉屋と割烹をやっていた岸商店で肉屋を修業し独立、昭和10年代に五反田に店を持った。
 一人っ子の康雄さんは、小学生の頃から店を手伝い、帳面をつけたりした。


 五反田駅のそば

五十嵐さんご夫妻(中央)と
山本さん(左)、布施さん(右)

 山手線と池上線が交差する五反田駅のすぐそばの一画に、40軒ほどのお店があったのを、再開発で17階のビルに建て替えることになった。5階から上は住居で、下にお店が入る。
 この夏に竣工して、少しずつお店が開店してきているが、ところどころまだのところもある。
 岸商店は目黒川に面した1階にある。山手線のホームが見えるし、池上線のホームの真下だ。
 赤字に黄色の看板も、ショーケースもピカピカと輝いている。

 ランチを始める

 建て直しにかかった2年の間、西五反田から線路の反対側の東五反田の仮店舗に移り営業した。
 それほど離れたわけではなかったが、売上げが落ちた。また、時間を持て余したこともあり、奥さんの強い要望でランチを始めてみた。やったことのないことへの初めての挑戦だった。これが宣伝もしないのに大当たり。
 「ごはんの釜が足りなくて、5合釜2つで始めたのが、最後は1升釜が4つになった」
 お米は新潟のコシヒカリにこだわった。

 嬉しかったお祝

 新装開店の日から3日間、口コミでお祝いがたくさん来た。花輪は飾り切れず、断ったほど。また、昔からのお客様が果物やお菓子をいっぱい持って来てくれた。
 「買いに来てくれた他にだったからびっくりした。ありがたく嬉しかった」

 貴代子さんに感謝

 奥さんの貴代子さんも新潟の出身、結婚して35年、感謝している。
 ランチは継続して人気だ。1日1品で日替わりにしている。上カツライス、焼肉、かつ丼、生姜焼き、肉野菜いためなどを470円で販売している。
 卸の売上げが減って来ている時に、今では強い救世主となっている。
 店は山本さん、布施さんのふたりを含めて4人でやっている。ふたりはもう30年以上も一緒にやっている、肉を知り尽くした超ベテランだ。

五反田ナビ 
http://www.gotanda-navi.com

 インターネット

 インターネットの『五反田ナビ』には、毎日のランチのメニューが紹介されている。
 山本さんがパソコンの特技を活かして、前の晩にメニューを書き替えている。月曜から金曜までの毎日で、月のアクセスが3000回になるほどの人気。ランチを始めると同時にスタートした。

 竹中第4代理事長

 20年ほど前、竹中久一第4代理事長のお店が仮店舗のそばにあった。
 「全肉連の会長だった。いい人だった」
 大崎支部の新年会は、竹中さんに合わせて、体の空いた2月か3月に開かれた。
 毎年1回の支部の旅行は、国内でも飛行機を使った。竹中さんも楽しみにしてくれて、加賀の粟津温泉へ行った時のこと、泊まったことがないので、宴会でカニを食べようとしたら『理事長さん車が』と呼ぶ声に残念そうにしていたのを思い出す。
 その頃、牛肉の朝市があった。農林省(当時)の補助金で牛肉が安く買えた。品川埠頭の食肉供給公社のシャッターが6時に開くと早いもん勝ちで走った。
 「場所とりで夜中の0時から並んだこともある。すぐ売り切れた」
 買えば買うだけ売れた時代、月曜から金曜まで毎日、3年ほど続いた。

 小渕恵三首相

 平成11年12月、昼寝から起きると右手がしびれてロレツがおかしかった。
 それまで朝4時に起きて11時まで仕事、食事をして30分昼寝をするという生活を昔から続けていて、病院にかかったこともなかったし、病気は人のものと思っていた。
 奥様の強い勧めで救急車で逓信病院へ行くと、即刻入院、脳梗塞だった。
 「医者に元には戻りませんと言われた。暮れの忙しい時でまいった」
 3日間点滴、モアハリンという薬を飲んで、1か月の入院で事なきを得た。今は定期的に通院し、血液検査をして薬をもらっているが、生活に支障はなくなった。
 「退院した時、小渕恵三首相が入院してきた。大丈夫だと思っていたが亡くなってしまった」

 王貞治との接点

 五十嵐さんは今は肉屋の主人に納まっているが、実はプロ野球選手としての道が少年の頃にはあった。
 当時、野球が強かった区立日野中学で1年生の春から試合に出て、秋には4番でピッチャーとして活躍した。
 「足は品川区で1番速かった」
 東京都では駄目だったが、品川・目黒区では1回も負けなかった。
 高校進学の時、早稲田実業の練習を見に行った。そこには3年生の王貞治がいた。夢はふくらむ。
 早稲田実業と都立商業高校を受験し、両方とも合格した。
 「オヤジがどうしても都立へ行けと言った。学校の話や、勉強しろということを一切言ったことのないオヤジが初めて口を出した。理由は今だにわからない」
 肉屋は景気のいい時代で、経済的には問題はなかった。ただ、小学6年生の頃は回りの人が胸までしかなかったが、栄養の貧しい時代の影響か、そこで身長がストップしてしまった。
 その都立の高校は軟式野球で全国2位になったこともある学校だったが、五十嵐青年は1日で野球部をやめてしまった。
 その後、子どもの野球チームの面倒を10年ほど見たこともあるが、体をこわしてからは、お店の発展と五反田駅前商店街の振興に尽くしている。

春には桜が満開になる目黒川
山手線(左)と池上線(右)に挟まれて


    〔2005年(平成17年)9月15日号「東京食肉新報」掲載〕

ページ先頭に戻る