枝肉の搬送設備がある    〜肉のモリヤの取り組み〜




 泣c潟юク肉店(世田谷支部)には、前の道路から店の2階まで枝肉を搬送できる設備が整っている。店主はパソコンも駆使する理数系の肉屋さんだ。



 埼玉の児玉から

 2代目店主の茂木貞男さんは、昭和14年12月生まれの66歳。
 父の善高さんが、昭和12年に創業した。父の出身は埼玉県の児玉町(現在は合併して本庄市)、農家の5人兄弟の次男坊。弟ふたりは戦争で亡くした。
 「相続権は長男の時代で、食べるために当然東京へ出るしかなかった」
 本郷にあったモリヤ肉店に丁稚奉公。ヨネさんと結婚して、世田谷区上馬の現在地に店を出した。本店は戦後再開せず今はない。
 東京オリンピックの頃の世田谷支部長だった。


 当然後を継いだ

茂木さんご夫妻と岳史さん、布施さん(左)


 貞男さんは5人兄弟の長男。
 「当然、肉屋の後を継ぐものだと思っていた」
 戦争中は児玉へ疎開、小学校はそちらで入学。終戦になって1学期だけで、秋に東京へ戻った。両隣の野沢と三軒茶屋はほとんど燃えてしまったが、店のあった上馬は焼け残った。
 「小学校は建つまで2部授業だった」

 コロッケの思い出

 小学校の修学旅行、集合が昼過ぎで、貞男少年はその出発間際までお店のコロッケを揚げていた。その後、高校を終えると、父の見よう見真似で店を手伝った。
 「つらいとは思わなかった。昔はどこの家でも家族ぐるみで店をやった。肉屋を継ぐのも当たり前で、抵抗なかった」

 テレビを自作

 ひとつだけ行きたかった分野が理数系。小学生の時は鉱石ラジオ、中学・高校生の時は真空管ラジオを組み立てるのに夢中になった。
 その頃、朝早く夜鳴きそば屋がラジオを大きくかけて帰るので、妨害電波を出して退散させたことも。
 そして、高校を卒業すると店をやりながら、テレビを作ってしまった。
 「わが家の第1号テレビは私の自作」

 パソコンを駆使

 その頭脳は今でも健在。店のプライスカードはもちろん、若い人に譲って昨年まで理事長を6年間務めた、中里通り商店街のポスター・新聞の折込ちらしの制作を一手に引き受けている。
 このほど統合された世田谷支部の設立総会資料もお手の物。

新聞ちらし(左)とポスター

 すべて枝肉仕入れ

 モリヤ精肉店はすべて芝浦から枝肉で仕入れている。前は芝浦では群競りで豚を5〜6頭、多い時は8頭とまとまっていたので、1頭競りのできた立川の市場へ通っていた。結婚当初、赤ん坊を乗せてオシメを持ってでかけ、「赤ん坊泣いてるよ」と仲間から言われたことがなつかしい。
 しかし、あまりに遠いことと、お客様の好みが豚から牛に変わってきたので、芝浦に変更した。
 週に1回、豚と牛を2〜3頭仕入れる。
 仕入れたのを大きくカットしたものが、飲食店に好評だ。保育園も含めて、卸の割合は4割になる。

 クレーンの登場

@入口 A1階外 B1階中 C1階から2階へ D2階へ E2階 F保管庫

 17年前、昭和の終わり63年の暮、お店を3階建てに改築した。1階がお店、2階が作業場、3階が資材置き場。
 茂木さんは建て替えの際、絶対やりたかったことをやった。トラックで運んできた枝肉をクレーンにつり1階に搬入、1階から2階へもクレーンで引き上げる。まるで市場のようだ。
 そこで3人で手早くさばいてしまい、冷凍庫・保冷庫に積まれていく。
 1階のショーケースも全て含めて1800万円。リースを組んで、資金繰りは比較的楽だった。

 牛肉の売り方

パルプ紙
ガス包装


 茂木さんは肉の売り方を非常に工夫している。
 「基本的に仕入れたものは、無駄を出さないようにしている」
 真空包装とガス包装を両用して、肉の変色を抑えている。酸素と炭酸ガスの混合ガスだ。
 また、肉とお皿、肉と肉の間にはすべて、パルプ紙をはさんで、黒くなってしまうのを防いでいる。
 お店のお肉すべてが真空パックで保管されている。使う時は、ほどいてそのまますぐ切れる。削る必要がない。
 10年ほど前まで、様々な展示会・勉強会で得た結論だった。

 世田谷支部統合

 お店の周辺にスーパーが10店できている。ドーナツの空洞の真ん中になってしまった。お肉屋さんは5分の1に減った。
 そこで世田谷区の3支部が1つになり、5日に設立総会を行ったばかり。統合では推進役として大いに活躍した。
 また、全国食肉流通業厚生年金基金の監査役でもある。同じ監査役を通じて人気のモリヤのビーフカレー≠フ製造元を紹介、横須賀の海軍カレー≠生み出した。

 明るい和子さん

 奥様の和子さんの父と、貞男さんの父は小学生の時からの同級生。
 「よこせ、やるよ、と結婚した」
 終始笑顔でお店を支えてきた。
 こどもが3人できたが、男ふたりは独立してしまい、娘さんの弓起子さんが岳史さんと良縁に恵まれて、店を継いでくれた。弓起子さんは子育てに奮闘中。
 板前の布施さんと4人で、笑い声をあふれさせて、お客様を迎える。



    〔2006年(平成18年)3月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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