佐賀牛≠ナお客様の喜ぶ顔    〜ウメザワミートの取り組み〜




 ウメザワミート(大泉支部)は、佐賀牛≠フおいしさを正直に訴え続けて、専門店として多くのお客様に喜ばれる町のお肉屋さん≠セ。関越自動車道と東京外環自動車道が交わる大泉ジャンクションの近くにある。



   丸善中央
   マーケット


 西武池袋線・大泉学園駅を降りて大泉学園通り≠関越をくぐって北に2キロ、左に丸善中央マーケットがある。
 そのなかには八百屋・酒屋・魚屋と、肉屋としてウメザワミートの4軒が入っている。ところが看板もなくて最初通り過ぎてしまって、近所の和菓子屋さんに尋ねてやっとたどり着いた。駅から歩くと30分かかるが、通りは驚くほど人が多い。
 「この町は奥が深いから。1日に150人くらい来てくれる」
 梅沢政義さんが話してくれた。
 毎週金・土曜日に4店は共同で大特売セールを開催し、新聞にチラシを入れる。
 その日は木曜日だったが取材の間もお客さんが途切れずに来て、奥様の智恵子さんが対応に追われた。

丸善中央マーケットは
関越自動車道と東京外
環を結ぶ大泉ジャンク
ションの近くにある


   昭和44年創業

 梅沢政義さんは昭和18年5月生まれの63歳。茨城県下妻の農家に10人兄弟の末っ子で生まれた。兄が仲間の横瀬本店で豚の仕事をしていたので、肉屋を志し中学を出て品川の大井競馬場の近くへ奉公に出て修業。
 「今までで一番つらかった。教えてくれない、覚えたいなら朝1時間早く起きろ、と言われた」
 月給500円、帰りたかったが、おやじに「出てった以上3年間帰ってくるな」と言われている。
 2年が過ぎてやはり兄の仲間の東大泉・ふじや肉店へ移り、そこで8年働いた。
 そして44年26歳の時、南大泉でウメザワミートを創業した。

   値段より品物

 創業にあたって梅沢さんは、兄の助言もあってひとつの決意をする。
 時代は変わっていく、この先一般のスーパーと同じやり方では置いていかれる。値段よりも品物を重視、高くてもいいからいいものを扱っていこう。
 それまで納めの仕事で色々回っていた時に、安いものだったらなんでも持って来てというお店と、少し高くともいいものを持って来てというお店と2通りあったのだが、安い方が先に店をやめてしまっているのを、しっかり心に刻んでいたのだ。
 値段ではない、専門店でならいいものを安く売れるハズだと思った。

   問屋さんのおかげ

 「松阪や近江は味はいいかもしれないが、値段がバカ高くて、毎日の食材としては売り切れない」
 ある程度の値段でおいしいものを、お客様にわかりやすいお肉を求めた結果が佐賀牛になった。
 長い間コンスタントに味と量を供給してくれた問屋さんに感謝が尽きない。
 そうして順調に南大泉で30年やってきた店が、大家さんの事情で立ち退きになった。

   6年前に現在地へ

 平成12年8月、前の人がやめて現在の所へ移転、設備を新しくしてウメザワミートの再出発。
 「来たばかりは厳しかった」
 前の人と違って値段が高かったらしく、だれも来てくれない。1年半から2年そんな状態が続いた。そんな時、南大泉の頃の人が自転車やバスで買いに来てくれた。
 「いいものについてきてくれた、ずいぶん助けてもらった」

   チラシより口コミ

 やがて少しずつわかっていただけた。そして1回買ってくれればOK。
 「生ものだから一口食べるまでは信用できないが、一回食べればわかる」
 口コミでおいしさの評判が広がっていった。10時から1時が忙しい、早く行かないとなくなってしまうのだ。牛は10キロで売り切れ。チラシには牛は書く必要がない。
 「今はうちのものでなければ駄目だと言ってくれる」

   SPF豚を枝で

 1週間に4〜5頭のSPF豚を枝で仕入れる。毎日1頭の骨おろしが日課だ。
 営業時間は9時から8時だが、6時には来ている。日曜日が休みだが半日は仕込みでつぶれる。
 「鮮度が全然違う、全然痛まないからお客さんが喜んでくれる」
 スーパーがどんどんできて確かに客は減っているが、まとめ買いをしてくれている。

   智恵子さんに感謝

梅沢政義さん、智恵子さんご夫妻

 昭和39年21歳で智恵子さんと結婚、岩手県水沢の出身。翌年、男の子が生まれた。それから40年、息子も結婚してお孫さんもできて同居している。しかしお肉屋さんにならなかった。
 「一代で終わりだ」
 健康に守られて奥さんとふたりで、そんなに厳しい事態にもならずに今までずっとやってこられたことが嬉しい。一緒に来た奥さんに大感謝。
 BSEもほとんど影響がなかった。大丈夫ですかと必ず聞かれたが、和牛は安全なことをお客さんに説明して信用してもらった。売り上げは落ちなかった。
 「お客さんにはウソをつけない。本当に正直にやるしかない」

   好きなことも封印

 肉屋の他になりたかったのが大工さん。義姉の実家が大工さんで、こどもの頃、見よう見真似でわかってしまって、道具も揃っている。自分の所はともかくご近所の物置や車庫も作った。
 引退したら便利屋≠ノなりたい。ゴルフもハンデ12の腕前。
 しかし、それもこれも肉屋の商売繁盛≠ナ当分できそうもなさそうだ。



    〔2006年(平成18年)12月15日号「東京食肉新報」掲載〕


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