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| 4の日は地蔵通り商店街の売り出し日、「すき焼きの日」ポスターも |
東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅を降りて、江戸川橋通りを都心に向かって少し歩くと、左側に一日中お参りする人が絶えないお地蔵さんがある。そこから入って200mほどにわたって「地蔵通り商店街」があり、その入り口のちょうどお地蔵さんの斜め前に、(資)鈴木商店はある。そして鈴木さんの家族がお地蔵さんをお守りしている。

関東大震災を機に
鈴木商店の創業者・鈴木勝義さんは明治35年生まれ。
NHKの連続ラジオ番組で「おらあ三太だ」が一世を風靡した。神奈川県の津久井湖に注ぐ道志川沿いにあった旅館を舞台に、小学生の三太の活躍が夕方かなり人気になった。
その本家の次男坊だった勝義さんが、中学を出て東京・芝の肉屋で働いていて5年経ったはたちの頃、大正12年9月1日に関東大震災に遭遇した。
避難してきて現在の所に居ついた。その当時、店の横は水路、商店街の通りは道路と水路があり、その角にお地蔵さんの小さな祠があった。地続きでその一帯を買って鈴木肉屋の開店は昭和の初めだった。
養子の2代目
現在店を切り盛りしているのは、2代目の正夫さん。昭和16年10月生まれの65歳。群馬県高崎市箕郷町の農家の4男2女の6人兄弟の4男坊。
勝義さんの奥さんのお姉さんが北区滝野川で魚屋さんをやっていて、そこに正夫さんのお兄さんが働いていた縁で、正夫さんも中学を出て魚屋さんとしてスタートした。
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| (左から)鈴木正夫・啓子さんご夫妻、啓さん、孝さん、島田さん |
そうして5年働いたはたちの頃、子どもに恵まれなかった勝義さんのところの養子になって、そこから肉屋になった。父から全部教えてもらった。80で亡くなるまで20年間父と働いた。
3代目ができた
29歳の時、啓子さんと結婚。ふたりの男の子ができた。長男は事務系の会社員になり、次男も外食産業に勤めた。
その次男が5年前に、丸3年勤めた会社をやめて、自分で戻ってきた。
母親の啓≠とってあきら≠ウんは31歳。1年前に理衣子さんと結婚、ことし6月に正夫さんもおじいちゃんになる。
「肉屋はあまり良くないので外へ行かしたが、拘束時間が厳しかったらしい。それから自分が育った所のシャッターを閉めるのがさびしいと思ったと言う」
いいような、悪いようなと言いながら、やる気十分の子どもに、もうほとんどまかせている。仕入れは全部まかされて啓さんは、これから責任をもって3代目として80年の歴史を引き継ぐ決意に燃えている。
丁寧過ぎる掃除
店は正夫さんご夫妻と啓さんご夫妻、水曜と土曜に来る啓子さんのお兄さんの孝さん、長年一緒に働いている島田さんの6人。孝さんは出てくると、お地蔵さんの身の回りの世話をしている。
納めを少し、学校給食を5校、福祉施設を2軒、売り上げの2割強。
お店の方は値段で牛、量で豚が主。牛は無印良品で銘柄にはこだわらないがいいものを入れている。1か月に1頭くらい仕入れている。
正夫さん、牛はいくつになっても難しいと言う。
「おいしさを考えると、ちょっとでも固いと思われるスジを丁寧過ぎるほど取ってしまう。歩留まりがどんどん悪くなってしまう」
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| 子育地蔵(火伏せ地蔵) 三方を台地に囲まれたこの地が一面の田畑であったころ、近くの神田川がしばしば氾濫した。この地蔵尊は、明治の初めにいずこからか流れてきて、ここに留まったものと言い伝えられている。やさしいお顔の尊像に接した里人が、この地におまつりして以来、子育て・商売繁昌、また、この地域が戦災のほか大火に見舞われないことから「火伏せ地蔵」として敬まわれている。―――文京区教育委員会 |
夢は日本一周
啓子さんとふたりで、休みの日は朝早くからドライブにでかける。関東近県のほとんどの所へ行った。
車が好きで若い時にはグレーのスカイラインGTRで飛ばした。
山登りもずっとやっている。4・5時間歩くハイキングだが、近郊の小さな山は全部登った。
夢は引退したら啓子さんと車で全国を回ることと言うが、もう少し先になるらしい。
ことしは大事業
今お店をどう変えようか、大きな懸案を抱えている。大通りに面した3軒の貸店舗が空き家になってしまって、3年越しに建て替えの検討中なのだ。ことし中には話をまとめて来年には着工にもっていきたい。
養子になって来た時に先代が建ててくれた、節なしの総檜の自慢の住まい。お地蔵さんの小さな祠もその時、現在のものに建て替えた。
肉屋になって45年「つらくもなかったし、楽でもなかったし、標準かな」と振り返る。
3年前に直腸がんになった。手術して40日入院、今のところ経過は順調だ。
「ずっと健康でやってこられた、この間まで。それも子どもがたまたま戻っていたから切り抜けられた」
家族みんなでお地蔵さんをお守りしてきたから、みんなお地蔵さんに守られたと思う。
〔2007年(平成19年)2月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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