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新宿から京王線快速に乗って6駅目、14分で千歳烏山駅に着く。乗降客数が新宿・明大前に次ぐ駅になって、人通りが多い街だ。
東口を出て北へ歩くと左に烏山区民センターの大きな建物があり、その先の角に「奥吉ミート」はあった。駅から歩いて1分の好立地に店がある。土曜日と日曜日が特売日で、お客様が途切れない。
素晴らしい出会い
店長の高橋要さんは昭和7年8月生まれの74歳。昨年の春から常務理事となったが、来年の改選時には定年を迎える。
「1期だけだが、常務になって色々な方たちに出会えて良かった」
理事の時には厚生部に所属し、今は広報部の副部長だ。常務会に顔を出すようになって、本部で素晴らしい人たちに会えたことに感謝している。
組合は人間関係の雰囲気がいいことと、経済的に潤って、物心両面で今最高な状態で、そこに1期だけでも参加できて良かったと思う。
爪掛けのおやじ
高橋要さんの両親は明治の生まれ、爪掛け(つまがけ)を商売にしていた。下駄の先にかぶせて泥や雨水を防ぐもので、景気が良かった時は大勢の人を使っていた。
「おやじは花柳界にも出入りして粋な人だった。いつも着物で洋服を着たことがない」
3男2女の5人兄弟の末っ子として生まれた要さん。姉の甲子久(かしく)さんが等々力の「奥吉」に嫁いでいた縁で、高校を出て肉屋の修業に入った。
義兄の菱沼秀吉さんは43年から47年まで2期、組合の常務理事を務めた。お店は今はない。その店で約10年、問屋として芝浦に出入りし、小売りも経験した。途中からハム作りもやった。
「義理の兄はいい主人で、手取り足取りよく教えてもらった」
昭和36年の創業
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| (左から)高橋要さん、清子さん、誠一さん |
36年、千歳烏山の現在地で「奥吉ミート」が創業した。その際も菱沼社長が新宿から1駅1駅降りて、一緒に探してくれた。
その年は奥さんの清子さんと結婚もした。知人の紹介で名古屋出身の人と。34年9月の伊勢湾台風の被害から立ち直る手助けにもなった。
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創業は常務が29歳の時。当時はなにもなかった所も45年経って、京王線沿線随一の人通りの街になった。駅周辺には店を取り囲むように4軒の大きなスーパーがある。
「揚げ物をやらないできて、一時は苦しい時もあった。でも良い時も悪い時も真面目にコツコツやってきたら、お客さんがついてきてくれた」
2人の男の子のうちのひとり誠一さんが、大学を出てから肉屋を継いでくれた。今3人で店をやっている。
松阪牛販売店
奥吉は世田谷に1軒すでにあったのと、お客さんにわかりやすいように「奥吉ミート」とした。
平成3年に会社組織にし「牛pス」とした。誠一にちなんでつけた。
店では松阪牛を扱っている。ヒレで3000円、サーロインで2500円で売っている。
「松阪は特殊で看板。暮はほどほど出るけど、いつもは一般的な和牛がよく出る」
入って左側が牛肉、道路側正面が豚肉のウインドウになっている。
土曜日・日曜日が特売日で100グラム20〜200円引いている。
成城支部長を長く
1年前の4月世田谷区の世田谷・成城・玉川の3支部が統合して世田谷支部ができた。その成城支部長として9年近く働き、今は副支部長事業担当として活躍している。
本部の芹田光司副理事長も奥吉の出身なので、お世話になっている。
「芹田さんは三軒茶屋の出身でオクヨシ会の会長だけど忙しいから」
人が好き、酒が好き、話が好き。そしていい人達に包まれていると思う。
清子さんに大感謝
店は10時半に開店、夜8時にはシャッターを降ろすが、卸が数軒あってそれから遅くまで仕込が続く。平日は店と重なってとても忙しい。
火曜日が定休日。
高橋家は全員の血液型がB型、と笑う。
「チャランポランで自分勝手、自分は自分」
高橋要さん、奥さんと息子さんがお客さんに忙しくしているのに、取材に気軽に応じてくれた。近くの『オー・ドゥ・ヴィー』という店でワインを飲みながらの話となった。ところが奥さんの清子さんへの感謝がすぐに語られる。
「地味でわがままを言わない。酒は飲まない、仕事だけがんばってくれる。お友達はいるから遊びにいってもいいよと言っても行かない」
お風呂も今だに先に入らない、頭が下がると言う。
〔2007年(平成19年)3月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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