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JR埼京線・十条駅のロータリーの右奥に十条銀座商店街はある。入口のゲートから入るとアーケードが続き、幅6メートルほどの通路の両側には様々な店が延々と並び、出口までおよそ400メートル。歴史の古い商店街で、平成10年3月には現在のアーケードに改装し、約200軒ほどの商店がある。
群馬の家畜商
ゲートをくぐってすぐに「肉の塩家」はある。
2代目店主の塩家好二さんは昭和13年1月生まれの69歳。創業者の父・朋好、母・まつの6人兄弟の長男として生まれた。
創業者は群馬県藤岡で24年、家畜商としてスタートした。それまで養豚やキャンディー屋(?)といろいろ手がけたが、牛を集めて、と畜して神田のアマイへトラックで運んだ。
「オスが生まれるとスモールと言ってハム・ソーセージになったが、去勢してミルクを飲ませて育てた。自分もやった」
38年頃、オスでも食肉とした先駆けではなかったかと2代目は語る。
母の妹さんがいたので現在地にも店があった。アマイで買ってもらえない牛を並べた。父は週に1・2回、群馬と東京を行ったり来たりの生活だった。
立地条件はベスト
37年に節子さんと結婚、3人の子どもができた。父が42年に亡くなる。そして45年、一家で藤岡から十条へ引っ越してきた。家族5人の大移動。
「たいへんだった。一番下が2歳の時だった」
48年に店を改築した。 「その年の売り上げが1億円を超えた。その1回だったけど」
52年にアーケードが完成、平成10年にリニューアルして現在に至る。
「37年間、まあスムーズにきた」
3代目が戻ってきた
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| 店には未彩ちゃんの友だちの絵が |
引越し当時2歳だった子どもは泰明さん。43年7月生まれの今では38歳。大学商学部を出てキリンビバレッジへ就職。「午後の紅茶」などの配達・営業で活躍、運良く大型建設現場の自動販売機の受注獲得などしたが、2年半で腰を痛めてしまって断念、お店に戻ってきた。
大田区池上の藤川で2年間みっちりと修業。
「惣菜の勉強だけ、精肉は教わらなかった」
平成8年4月の13、14の2日間『ミート&デリカ 塩家』の新装開店セールが開催された。
翌年、美智子さんと結婚、未彩ちゃんが生まれた。
デリカが主力に
「前の方(デリカ)が6割」
好二さんが店の売り上げを分析する。泰明さんが来てから、精肉の売り上げを上回った。
「今は前に力を入れている。手が回らないから肉の方は覚えなくてもいい」
豚が切れるくらいで、牛の見分けはまだらしい。そのうちに教えるつもりだが、果たしてその時は来るだろうか。
時々(?)訪れる精肉コーナーのお客さんを相手にすると、見事な包丁さばきを披露する。調理法も丁寧に教える。問屋には「いいものを」と注文する。
一方、節子さんも『前の方』の揚げ物担当だ。この日もたまねぎの皮むきで忙しい。
「ふたりだけでやっていた時はやめようかと思う時もあった」
また忙しくなって、今一番いい時と節子さんも喜ぶ。
美智子さんも店に立ち、ふだんは4人で動いているが、春休みを利用して今度小3の未彩ちゃんと長野へ里帰りの準備。
豊富な惣菜・弁当

表には人通りが絶えない。泰明さんが大きな明るい声で「いらっしゃいませ」と呼ぶと、店先には人だかりができる。
若い人には若い人が集まる。
「年寄りの扱いもうまい」
親が子どもをほめた。
右の弁当のコーナーには、ハンバーグ・ロースカツ・ステーキ・ヒレカツ・サバ・サケ弁当そして焼きソバ・ナポリタン。
中のサラダのコーナーにはフカヒレ・フレッシュ・イカ下足・花咲・ワカメ・ゴボウ・きのこのサラダ。
左のコーナーにはコロッケ・メンチカツ・豚ロース・ヒレカツ・エビフライ・カキフライ・八宝菜・若鶏のからあげ・シューマイ・焼豚。
2月にテレビ東京の「出没!アド街ック天国」に紹介された。大きな大きなチキンとポテトが串刺しになっている。しかも1本210円。
娘がイタリアに
泰明さんは3人兄弟で姉がふたり。すぐ上の姉がイタリアへ語学と服飾のデザインの勉強に行って、その先生と結婚した。
ミラノまで電車で30分のサロンノという街で暮らしている。ふたりの子どもがいる。
イタリアへは2度ほどご夫妻で行っている。
一番上の姉も中野へ嫁ぎふたりの子どもができて、好二さんは5人のお孫さんのおじいさん。
この日、帝京高校は春の選抜高校野球準決勝で惜しくも敗退した。
好二さん、節子さん、同じことを言う。
「動けるうちは、働けるだけ働きたい」
〔2007年(平成19年)4月20日号「東京食肉新報」掲載〕
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