二人三脚で刻んだ45年    〜小島精肉店の取り組み〜




 4月20日の城北ブロック総会において、小島利夫副会長(豊島支部)が、定年で勇退される山根一郎会長を引き継いで、城北ブロック長に就任した。早速取材をお願いすると、とても気持ちよく引き受けてくれた。



   肉屋に買われた

 小島ブロック長は昭和10年12月生まれの72歳。群馬県邑楽郡板倉町の農家の11人兄弟の9男坊だった。板倉町は埼玉県も千葉県も茨城県も栃木県も近い。
 「鶴の形をした群馬県のくちばしの所」
 ある日母が東京へ買い物に出て、スリに遭ってしまった。困った母は新大久保で住吉精肉店を営んでいた従兄のところへ行って、お金を借りた。そして話のついでに息子の話が出て、即決で肉屋の就職が決まった。
 「3万円で肉屋に買われた」
 26年4月10日、中学を卒業したばかりの15歳の利夫少年は、肉屋になった。神田の本屋に就職が決まっていたので、先生にはひどく叱られた。

   ご用聞きを5年

 住吉は繁盛していた。そこでご用聞きを5年やった。東は若松町、西は東中野、南は西新宿と1日50軒回った。売り上げによってズボンなどの衣類がもらえた。
 「前に52個、後に14個の歯のついた、加速が良くて早い特注の自転車」
 夜は身おろしの修業。先輩の作った骨掃除をして骨の形を覚え、肉が残らないようにする方法を見て覚えた。だれも教えてはくれない。
 銭湯では先輩の背中を洗った。
 朝は6時起床の10分前には起き出して、ボイラーに火をつけてイモをふかし、玉ねぎを20s切った。みんなが起きる前に切ってしまうので、知らない子もいた。


   オヤジキトク電報

 人に負けるのがキライな少年だった。家を恋しくて泣く少年ではなかった。
 『3日ともたないから、帰ってきたら百姓を』と思っていた親は逆にオヤジキトク≠フ電報を打って、かわいい息子の帰りを待った。
 「行ってみるとたばこを吸って遊んでいた」
 最初は6人の先輩の後についていたが、徐々にふえて23人にもなった若いしのリーダーになって、泣いている子どもたちにボクシングをさせて元気をつけてやった。
 またこの頃、拓大生と知り合いになり、5年間空手を教わった。


   駅前で大立ち回り

 14年が過ぎた。店の横で後輩の大きな声がした。油を絞る機械のところで、当時のニコヨン≠ェ小便をしていたのを注意したらしい。出ていくといきなり傘を振り回して向かってきたので、取り上げて折って『こっちへこい』と、空手で気持ちが大きくなっているのでやっつけてしまった。
 店は山手線新大久保の駅前、おまわりさんは出動するわ、バスは止めてしまうわの大立ち回りを演じた。


   次は店長とケンカ

 住吉をクビになって、高円寺のスーパーの開店のために立川のスーパーで修業、2か月後にオープンにこぎつけた。ところがそこでは10時の開店前に9時半から朝礼があり、全員が聞かなければならない。
 聞きながら仕事をしないと間に合わないから、と店長に言っても聞いてくれない。やめることになった。
 3週間分の給料をもらって、ついてくるかと若いしを誘うと半分ついてきたので、その給料で『いいところをさがせよ』とみんなに分けてあげた。
 家に帰って奥さんに叱られた。


   明るい政子さん

 政子さんと37年に結婚。従姉の方が住吉に買い物に来ていて知り合った。
 政子さんは豊島区池袋本町が地元。このチャンスを逃すとできないと思い、物件をさがしていた。店は保健所の許可が出せないほど古くて、保証金を先に入れて建て替えてもらった。
 そして東武東上線下板橋駅から5分の現在地に、39年11月23日小島精肉店を創業した。
 開店の時3日間の大売出しの仕入れをしたが、1日で売り尽くしてしまった。鹿児島産黒豚を100g30円で売った。
 その店は4人の肉屋が代わったが、半年で潰れてしまう因縁があった。最初の頃、どのくらいもつか近所で噂をされた。
 それから45年、ヒマとこぼしたことはなかったという、順調に来ている。

   ブロック長として

 ブロック長としての抱負を語ってもらった。
 「とにかくまだ、どうしたらいいのか全然わからない。ただ山根前会長と話し合いながらやっていこうと思う」
 子どもは3人の女性、お孫さんが5人いる。
 「あと10年がんばる。80歳で定年、2年嘱託」
 横から政子さんが合の手を入れる。奥さんも肉屋のことは全部できる。父娘でハワイ旅行の時も保育園の納めがあるので店は休まなかった。
 「健康で商売繁盛を続けて行きたい」
 けんか好きな性分は政子さんと出会ってから、笑顔の日々となった。息の合った二人三脚で、これからも小島精肉店はお客様との話が弾み、笑いが絶えないだろう。

昼下がりの1〜3時もお客様が絶えない。豚小間と豚バラがよく売れる。



    〔2008年(平成20年)5月20日号「東京食肉新報」掲載〕



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