丁々発止夫妻の肉屋さん    〜北島精肉店の取り組み〜



 昨年春、それまで17の支部があった三多摩ブロックが再編成されて、東西南北4つの支部の多摩ブロックとしてスタートした。そしてことしの春、村上繁前ブロック長を引き継いで北島菊松さんが多摩ブロック長に就任した。JR中央線・豊田駅から歩いて20分の日野台商店会≠フ一画にあるお店を訪ねた。


   秋田県横手市出身

 北島ブロック長は昭和20年1月、秋田県横手市で生まれた。63歳。
 10人兄弟の7番目。男が5人、女が5人。夫婦揃ってみんな元気で、年1回兄弟会として日本中から集まる。
 「おふくろの弟が太平洋戦争で大活躍して亡くなった。その名前をいただいて『菊松』になった」
 35年、中学を卒業した菊松青年は集団就職≠ナ東京へ出てきた。

   婦人靴製造見習い

 浅草駒形の靴屋さんで靴小僧見習いになった。5年で職人の資格をもらえると一生懸命がんばった。
 しかし約束が違ったため、自分で店を出した。浅草寺の奥の浅草警察署の前に、婦人靴製造の看板を出した。はたちだった。

   伊東ゆかりのくつ

 独立した途端忙しくなった。銀座のワシントン靴店などに卸している問屋の下請けだったので、高級婦人靴の注文がどっさり舞い込んだ。
 「伊東ゆかりや中尾ミエがはいた金ピカの靴を作ったよ、ぼくが」
 ところがひとりでやっていたため、寝ないで作っても追いつかない。かなりの収入もあったが、「金なんかいらないと思った」。体が悲鳴をあげて5か月でやめた。

   先輩の肉屋へ転進

 横手の先輩が夫婦で小平で肉屋をやっていた。なるしま精肉店の支店をまかせられて、5年ほどになっていた。
 浅草を全部たたんで、先輩のところへ転がり込んで肉屋の修業が始まった。
 「最初、お客さんが来ると恥ずかしくて、ウインドーの陰に隠れていた。職人仕事で誰とも会わないでコツコツやっていたから」
 三鷹に内臓を取りに行ったり、なれてくると立川で札を使ってセリで肉を買った。
 「肉屋になるのに死にものぐるいだった」

「やっと1つ遊びを覚えた」と語る明るい照子さんと

   北島精肉店の創業

 一方、日野台では、38年に北島照子さんが母と北島精肉店を創業していた。食堂を開いていた母が肉屋を始めると忙しくなって、照子さんも高校をやめて手伝った。
 「ここは日野自動車の社宅だった。イロハからカまで14の通りがあって、それぞれに2軒長屋が20以上あった」
 八百屋と肉屋と魚屋しかない時代だったから、どこも押すな押すなと客が押し寄せた。
 下のふたりの妹も手伝って3人娘のお肉屋さん≠ナ有名になった。

   北島精肉店へ侵入

 なるしま精肉店の本店は先輩の先輩が経営していて、北島精肉店と取引があった。その大先輩が旧姓・泉谷菊松と北島照子を引き合わせた。
 菊松青年は店の休みの日や夜毎に手伝いに通った。
 1年後の45年10月、25歳の時、「侵入」にめでたく成功して結婚。こんどは3人の男の子ができて、お孫さんもひとり。

   ブロックの活性化

 多摩ブロック長として語ってもらった。
 「昔支部長だった地区長から、組合活動が最近活発でないという相談をされる。地区が支部の下になって交流が浅くなったという。
 本部はもう支部1本で、地区に直接連絡行くことはない。支部に連絡が来て、それを各地区に連絡するようになった。
 一部の地区で今いち支部を理解できていない。そこを一生懸命理解できるように、支部を重点とした方針で地区組合員ともっと交流してほしいと思う。軌道に乗るまではまだ時間がかかるかもしれない。
 先日支部旗の贈呈式があって支部に送られて来たから、行事があれば必ず飾ります。すると『すごい旗だね』と喜ばれる。そこに団結も生まれてくると思う。
 支部長がいくら声をかけても出てこない地区は出てこない。だけど声をかけるだけは惜しまず声をかけ続けてほしい」

   45年地域に根を張る

JR中央線・豊田駅からいちょう並木が続く。その先に日野台商店会がある。

 最盛期30店舗あった日野台商店会も、今では17店になった。自動車の生産台数も減る時代になった。前の通りも人がいない。裏から入って来るから休みも休めない、夜中まで豚をほぐしていた時代がなつかしい。
 お店は10時から7時半まで営業。日曜祭日が休み。
 豚バラや揚げ物がよく売れる。惣菜は全部奥さんの手作り。キャベツ巻き・ぎょうざ・春巻……おいしいから売れる。
 牛肉は組合のセールの時によく売れる。
 夕方の4時から7時までは店先で炭火で焼鳥を売る。1本90〜100円。
 店が火事で燃えてしまったこともあったが、地域に根を張って45年。
 若い時からお肉屋さんの仕事と子育てに明け暮れて、照子さんは今、ご主人を組合に送り出して、しっかりと店を開けている。北島ブロック長は組合活動に集中できてとても感謝している。



    〔2008年(平成20年)12月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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