九段で92年、3代続く老舗    〜内野牛肉店の取り組み〜



 X内野商店の創業は大正5年。祖父の伴次さんが第一次世界大戦の戦勝国の報奨金で肉屋を始めた。肉が大好きだったが、普通の人ではなかなか食べられないから肉屋になれば好きな肉が食べられるだろう、と思った。
 初代は戦争にも行った、二度も店を壊されては立ち直った。12年の関東大震災の前の日にお金を払ったら壊された。太平洋戦争でも焼かれた。
 大正10年に父の一郎さんが生まれた。2代目は昭和38年から43年と61年から平成5年まで麹町支部長。昭和61年から平成14年まで8期、本部理事として活躍した。

お店は市ヶ谷駅から歩いてすぐ。
上は靖国神社、
下は目の前の東郷元帥記念公園。
桜の名所・千鳥ケ渕にも近い。


  江戸っ子の3代目

 内野誠一さんは昭和28年5月27日生まれの55歳。この日は日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破った「海軍記念日」だそうだ。
 靖国神社は歩いてすぐ、店の目の前には「東郷元帥記念公園」がある。東郷平八郎の家があった。隣の東郷小学校改め九段小学校に息子さんが4代目として通う。
 やはり皇居を抱えた土地柄なのだろう。聞きなれない言葉を耳にする。


   大阪で2年間修業

 誠一青年は明治大学商学部で勉強した後、大阪府阿倍野区にある広岡精肉店で修業。
 「2年間、セールや原価計算など、先進的な考え方に、海岸で貝殻を拾うように学ぶべきことが多かった。特に人間関係を教えてもらった」
 男3人の長男で高校から手伝いをしていて、牛も豚もある程度扱えたが、これを機に肉屋としてやらなくてはいけないと決意できた。

   経営改善指導事業

 組合は平成8年に会員店の売上向上のための「経営改善指導事業」を発足させた。泣Rンサルタント横山を主宰する横山紘氏が月2回3か月間、6回にわたって実際に店舗を視察し、豊富な経験と知識に基づいて経営改善への実践的な助言や提案を行なうものだった。
 当時組合理事だった父の一郎さん、専務だった誠一さんが、近江牛を中心に和牛が主体の商いをしていた。鹿児島黒豚も早い時期から扱っていた。しかし、昭和の終わり頃から徐々に生肉の売上が下降推移し始める。

新鮮な野菜コーナー

   横山先生の助言

 昭和60年に弁当を始めた。現在では総売上の3分の1以上を弁当・惣菜が占めている。店の右側が弁当・惣菜コーナーになっている。
 平成7年には店舗を地上6階・地下1階建てのビルに改築。その後に経営改善指導を受けた。
 「弁当を外で売ってみなさいと言われた」300食が500食になってびっくりしたが、保健所が来るようになって続かなかった。
 「DMセールを始める」月末の1週間DMハガキを持って来ると安く買える。今800件のリストになっている。
 「生鮮野菜を売る」近くにイトーヨーカ堂本部はあるが、人口が少なくて大きなスーパーを出せない所なのだ。しかも冷凍はだめ、生鮮でなければいけない。朝5時に起きて葛西の市場へ野菜の買い出しに行く。
 横山先生とのお付き合いは今でも続いている。とても感謝している。

豊富な精肉コーナー

   岩手の南・宮城の北

 牛は芝浦から枝肉で仕入れる。
 「買ってくると必ず従業員と味見をする。モモとロースバラのロースの端の出っ張りを食べるとランプとロースの味がわかる」
 味がいいのは岩手の南・宮城の北がお勧めだ。味見を繰り返して得た確信だ。高級牛は近江牛を使っているが、中位の牛の選び方はそうしている。
 「自分達が食べておいしいものは自信をもって売れる。もう一歩だなという時は売るのにつらい。だからいいものを買いたい」

   対面販売の良さで

 「『味見しておいしかった。どこそこの産だから間違いない』と一言二言言ってもらって、買いたい。スーパーで高いものを買わない理由だと思う。そんな対面販売の特長を生かした肉屋さんをやっていきたい」
 「牛屋肉屋≠ニして牛を中心に勝負したい。売上げの額は同じだけれど小売りは全然牛が勝る。豚は学校給食の比率が多い」

   新しい時代に船を

(左から)村上さん、田中さん、山野さんと。

 千代田区は区の促進方針と人々の都心回帰現象で、一頃に比べて人口が3万8千人から4万5千人に増えている。
 「おじいちゃん、おばあちゃんだけだったのが、最近は若い人がベビーカーを押して買いにきてくれる」
 平成15年に父を亡くし社長に就いて5年。様々なチャレンジが功を奏して「ここへ来て元に戻りつつある」と自信を見せる。
 「大阪から帰ってきた時に自分がやったことに対して責任がとれることが嬉しかった」。
 そして今、10人を越える会社のトップとして大変な世の中の舵を切る。







    〔2009年(平成21年)1月15日号「東京食肉新報」掲載〕

ページ先頭に戻る