|
浅草から日光へ向かう東武線の五反野駅、というより今では東京メトロ日比谷線乗り入れの北千住駅から荒川を渡り、小菅を通って2つ目の駅といった方が通りはいい。その改札口の目と鼻の先に、赤い地に白い字で大きく「HAYASHI」と書かれた看板のお店がある。駅から0分のところに、この4月から足立区支部の支部長になった林保さんのお肉屋さんはあった。
おしゃれな看板
林支部長は昭和21年10月生まれの62歳。団塊の世代の先頭である。10年前に本紙で紹介された記事が壁に貼ってある。そこでは看板について、「アメリカン・テイスト」と表現している。今回は時代が進んでカラー写真でお見せできる。
「目立つけれど最初は皆さんにぴんとこなかったらしい。精肉店だとわからずに探す人がいた。オヤジには抵抗があっただろう。でも自分のやりいいようにさせてくれた」
肉屋はやはり赤と白だろうと思った。HとIの左右を長くしておしゃれにデザインしている。友人のデザイナーに頼んだ。
「その頃アメリカから国費留学していた大学生が日本の文化を知りたくて三味線の稽古に来ていて、一緒になって仲良くなり、影響を受けた」
労働委員長の父
父で創業者の義彦さんは大正5年生まれ、4年前に90歳の誕生日の3日前に亡くなった。父は群馬県の出身で戦前にお肉の職人として働いたが、戦争に行き、戦後はしばらく会社員となり、労働委員長まで務めた。
その間にも父は年の暮れには、知り合いの肉屋の手伝いをしていた。母の峰子さんとの間にできた3人の子どもの長男であった保さんも中学の時から肉屋にアルバイトに行ったりしていた。
「暮だけでロースハムが100本も売れておもしろかった。だから、肉屋をやろうと思った」
昭和39年、東京でオリンピックがあった年。保さんが高校を卒業したのを機に林精肉店を創業した。保さんは父から肉屋の基本を教えてもらった。
東武線はまだ地上を走っていて、駅の出入り口は反対側にあった。
「踏切はあったが、滅多にこちら側には人は来ない。千住ネギの畑だらけだった」
当時は肉屋は2軒しかなかったが、それが多い時には7軒になり、今は4軒になった。

線路の高架化で
43年3月、線路の高架化で駅が上に上がり、お店が改札口直結になった。踏切を渡ってまで来なかったお客様が来てくれる。周りに団地もできてきた。妹と弟も手伝って、家族5人で切り盛りして活況を呈した。
大谷田に支店を出して保さんが店長でいった時代もあった。だがバブルがはじけて撤退した。
51年11月、秀子さんと結婚。秀子さんは新潟県糸魚川の出身、中学を出て兄が営む葛飾区のそば屋さんで働いていて、お見合いをして一緒になった。女と男、ふたりの子どもがいる。
「父がいた頃は良かったが、ふたりきりになると体がちょっときつい」
学校や保育園などの納めもある。
煮物とみこし
肉豆腐、五目ひじき、切干大根、高野豆腐、がんもどきなど、午後の昼下がり、煮物に忙しい。夕方までにパックに詰めて店頭に並べて1日ですべて売り切れてしまう。
「惣菜のなかで油は嫌われてるから、揚げ物より煮物の評判がいい。昼は皆勤めに出て閑散としているが、夕方から忙しくなる」
店は朝8時半から夜9時まで営業。料理屋に出入りしてそこの板前に教えてもらった。あんこうもおろせるし、あわびもしめられる。魚も並べようかなと笑う。
「今は年に30回近くみこしをかついでいる。前は毎週やっていた」
三社祭りにも行く予定、関東一円のお祭りに顔を見せる。
若い時は、ボーリング、ゴルフ、草野球と遊びはなんでもやった。
「麻雀の覚えたてに1か月で26日やった。六本木・銀座で飲んでタクシー代が高いから朝一番の電車で帰った」
 |
 |
(上)筍を切る。
(右)みこしをかつぐ。 |
足立区支部支部長
この4月の足立区支部支部総会で林さんが支部長に選出された。
「一番に対話が必要だ。それが強い団結につながると思う。回りに立派な人が大勢いるのでやりやすい。血矢正幸さんは高校の先輩だ」
51年から54年、近藤一夫前理事長が支部長だった時に、父が地区長だったことが思い出される。
60名の支部員を抱える大きな支部の支部長として、期待をされる。本部との連携を密にして役目を果たしたいと思う。
「70才くらいまで父はカツを切っていた」
お店を改築して赤い看板を掲げた頃から世代交代になった。
「肉屋はおもしろい。人との出会いが多くある。色々な友達ができた。話をするとどこかでつながりがあるから、悪いこともできない」
創業から45年。林さんからはとうとう仕事の苦労話は引き出せなかった。難局も余裕を持って乗り切って、体も健康を保っている。
「肉屋は包丁1本でやれる。持つのに軽いからいい。それにオヤジの存在が大きかったんだろうね。守られてお坊ちゃんに育った。まわりの人のおかげでここまできた。感謝している」
〔2009年(平成21年)5月15日号「東京食肉新報」掲載〕
ページ先頭に戻る
|