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西武池袋線の池袋から二つ目の東長崎駅で南口を降りて、線路沿いに戻ると南口商店街がある。駅から歩いてすぐのところに「魚沼畜産・肉のサトウ」がある。
父親を先頭に3人の子どもたちも一緒になって、にぎやかに肉屋を営んでいる。そして山古志の牛の角突き≠ノも話題が広がる。
3人とも自然に
父・佐藤政一(まさいち・写真左から2番目)、長男・政和(同右)、次男・孝行(同右から2番目)、三男・秀雄の奥さん貴子(同左)。
秀雄さんは食肉市場で修業中で店にいないが、4人きょうだいのうち3人の息子さん全員が揃って家業を継いだ。秀雄さんの奥さんの貴子さんも店を手伝う。ふたりのお孫さんができた。
政和さんと秀雄さんは竹岸食肉学校を出ているが、孝行さんは大学まで進んでいるのに、肉屋に戻ってきた。
新潟県魚沼市出身
佐藤さんは昭和16年11月生まれの67歳。新潟県広神村(魚沼市)出身で姉がふたりの3人きょうだい、中学を卒業すると、『ああ上野駅』の歌のごとく、集団就職で浅草橋の肉屋に就職した。
1年後ここから独立した文京区小石川の彦坂牛肉店に移って、そこで8年間働いた。彦坂さんのいとこのタカ子さんも一緒に働いていた。
41年、24歳の時、タカ子さんと結婚して、今のところに店を借りて創業した。屋号は「魚沼畜産」独り立ちしたらふるさとの名をつけると決めていた。
戦友のタカ子さんは平成11年1月、5年間の闘病の末57歳で亡くなった。今、貴子さんが明るく相手をしてくれる。
43年、地元に根付く
間口の広い店が開け放されて、お客様を迎える。
卸も学校・保育園・そば屋・ラーメン屋・日本料理屋さんと数十軒に配達している。
3時からは焼鳥をやっている。これが好評だ。
牛も豚も枝肉で仕入れて身おろししている。
東長崎商店会長を務めている。43年前、創業した時にはなくて、地元の商店と協力して作った商店会だ。
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牛の角突き |
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| ポスター |
山古志の「角突き」
48年、ふるさとへ帰った佐藤さんは、山古志村(長岡市)で「角突き復活」の看板を目にした。出稼ぎで男衆が減り、途絶えていた角突きが復活したのだ。忘れていた少年時代の興奮がよみがえった。すぐに牛を買い、山古志村の闘牛アパートに預けた。名はやはり「魚沼号」だ。
それからは村の業者に牛を育ててもらい、取り組みの度に4人の子どもも連れて帰省した。
平成15年、山古志村に家を買った。囲炉裏や池がある。
千年の歴史を刻む
そもそも角突きの起こりは、菅原道真が筑紫へ左遷された道中にさかのぼる。また、越後では疫病が流行った際に角突きを奉納して、疫病を退散させたことに由来する。
昭和53年、国の重要無形民俗文化財に指定された。
勝負づけをしない
佐藤さんは牛の綱を引く勢子(せこ)として参加する。角を突き合わせ、激しくせめぎあう2頭の牛。突き、叩き、ねじり、力と技でぶつかり合う「牛の角突き」は手に汗握る勇壮な闘いだ。勝負がつきそうになる瞬間、勢子長の右手がさっと上がる。
「勝負づけをしない」という独特のルールがあるのは、◎家族のように育てた牛に、血を流すまでの死闘をさせるのはかわいそう。◎徹底的に闘わせて勝ち負けをつけると、牛が闘争心を失くして再び闘わなくなる。◎賭博をせず、奉納の意味を強める。などの理由による。
岩手県久慈市の南部牛(日本短角種)が活躍する。
まだ闘志が残り、血走る目をむき、角を突きつけ荒れ狂う牛。牛を制止しようと必死でくらいつく勢子たち。牛と牛との闘いもさることながら、1トンにもなる巨牛と人間との迫力ある技の掛け合いもまた「牛の角突き」の醍醐味だ。
中越大震災の復興
平成16年10月23日、新潟県中越地方は震度6強という地震に見舞われた。
この地震で、倒壊した牛舎の下敷きになり、半数が命を落とした。一時は牛を残して村を出たが、数日後、まだ余震の続くなか、3日もかけてすべての牛を無事に避難させた。
牛も住民たちも仮設での暮らしを余儀なくされるなか、復興への足がかりとして、翌年5月に仮設闘牛場で「牛の角突き」を再開、復興を支援しようと、県内外から3000人もの観客が訪れて、被災した人たちの希望の象徴になった。
昨年、新しい共同牛舎も完成し、4年ぶりの初場所が開かれた。
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| 面綱(おもづな)と錦鯉 |
魚沼号と一緒に |
懐かしきふるさと
読売新聞の平成15年8月17日号新潟版に『努力重ね夢の店主、闘牛場で少年≠ノ』。朝日新聞の17年1月10日号新潟版に『捨てた故郷募る思い、母の安らぎ¥dねて』。と大きく佐藤さんが紹介されている。
山古志は、錦鯉の養殖や、山の斜面を切り開いて作った棚田、冬季に3m以上の積雪がある豪雪地帯としても知られている。
その道幅が狭く段差のある棚田で荷物を運搬したり、田畑を耕作したり堆肥の元を作ったりするときに、牛は貴重な働き手であった。
角突きは5月から11月まで毎月1回、第3日曜日に行なわれる。取り組みは16組、1組に5分ほどかかる。会場は虫亀・種苧原(たねすはら)・山古志の3つの闘牛場で開催される。入場料は2000円。
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三男の秀雄さんと孫の陽(あきら)くんの勇姿
「撮った写真を皆さんが届けてくれる」 |
陽くんがデビュー
中越地震まで牛は各家庭で飼っていたが、今は牛舎でまとめて管理している。
魚沼号もその時亡くなって、今は15代目だ。
8月はお盆にあったが、佐藤さんは7月の場所で左足を負傷、「ヨシターイ!」と大きな声で声援を送った。「ヨシタイ」は新潟の言葉で「よくやった」。
代わりに三男の秀雄さんが出場した。というより5歳の陽(あきら)くんが、勢子になる意欲充分だ。毎月必ず通っている。葵(まもる)くんもまだ1歳だが、おじいちゃんのかわいがりようで続くかもしれない。
子どもたちと、お嫁さんと、お孫さんと、まことににぎやかなお店だ。
「笑っても一生、泣いても一生、同じ一生ならば、笑って過ごした方がいいよ」
オヤジの開放的な明るさに、み〜んなが自然に着いていく。
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| 8月お盆の取組表、「魚沼号」が出ている |
〔2009年(平成21年)9月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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