裸一貫から築きあげたお店    〜糸川商店(葛飾支部)の取り組み〜

(左)「グルメショップ・いとかわ」
(中)ゆうろーど・仲町商店街を入って
  すぐの右にある。
(右)『こちら葛飾区亀有公園前派出所』両津勘吉像。
  1976年に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して
  以来、人気を博している。ことしTV番組になった。

 JR常磐線亀有駅の南口を出ると、「こち亀」こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉の祭り姿の像がある。そこからほんの2分のところに「グルメショップ・いとかわ」がある。太平洋戦争後の焼け野原のなかから裸一貫でお肉屋を築きあげてきた、仲良しの夫妻の物語があった。


  四国香川県の出身

 糸川芳文さんは大正12年6月生まれの86歳。香川県観音寺市出身で6人きょうだいの長男。
 明治生まれの父が東京へ出てきて、昭和12年に板前を雇って亀有の地で肉屋を始めた。
 「糸川商店」の創業は当時あった市場でコロッケを売った。肉は品物がわからないのでよくだまされた。芳文少年は尋常高等小学校高等科2年を終えるとお店を手伝った。

  北支で衛生兵従軍

 18年12月、兵隊にとられる。銃弾には関わらず北支で衛生兵の特別教育を受けた。終戦も天津陸軍病院で迎え、食料もモノも豊富にあった。
 21年2月、無事に復員、父たちはいなかに強制疎開していた。
 同郷の奥様の美千代さんは女学校を3年で中退して、広島での動員を嫌い地元の役場で働いていた。芳文青年の妹が一緒だった。
 「東京へ出てくる時、履歴書を書いてもらった」
 23年4月、美千代さんと結婚した。

 
 焼け野原から再起

 東京に出てきて最初、神宮球場の近くの日本青年会館にあった進駐軍の食堂に勤めた。立川の戦友のところから通ったが、始業の時間に間に合わずにやめざるを得なかった時に、部屋を貸してくれた仲間がいて続けられた。
 ある時調理場に呼ばれて上がってみると、肉を切っていた。
 「肉をタテ目に切ると固くて食えないですよと言うと、やれるのかと言うからやった。そばでチーフが見ていて認められた」
 そこから肉の係りになれた。そこでは責任者が、400人に1人という倍率で、なかなか家を持てない窮状を救う書類を用意してくれて、家のなかに雨が降る屋根だったが、住宅を一発で手に入れることができた。

   (上)昭和56年発行の冊子。若かりし
     頃の和代さんが写っている。
   (右)「悪戦苦闘している時の紙袋」


 
 20代は睡眠2時間

 しかし、親・きょうだいの面倒が一切、芳文青年の肩にかかった。
 「20代は2時間しか寝ていない。10年間は休みなしで元日も働いた。そうしなければ食べていかれなかった」
 美千代さんも一緒にがむしゃらに働いた。手の指が曲がっている。
 「先生に、若い時夢中で働いた職業病だと言われる」

 
 組合の役員として

 カメラを持って方々の店を見に行って研究した。売上げの数字をつけて、悪いところは修正して、良いところは取り入れた。そんな資料が几帳面に整理されている。当時のちらしを見るとお肉の値段が今より高い。
 やがてお店は軌道に乗った。ステンレスのウインドーや電子秤の導入は全国に先駆けた。
 43年から葛飾支部長を2期4年。47年から本部理事を2期4年。51年から本部常務理事を6期12年。62年まで要職に就いていた。
 その間、血清豚事件(42年)、沖縄牛販売(52年)、食肉技能認定制度(52年)、食肉ギフト券(59年)、という組合の「創立50周年記念誌」を飾る様々な場面の現場にいた。
 また竹岸ハムの縁で竹岸食肉学校の創立の頃の話や、血清豚事件の一部始終を知っている。

 
 ふたりで来た

 平成8年に駅前の再開発でできたイトーヨーカドーの専門店として参加。売上コンテストで亀有店が日本一に輝いた。
 ところが、休みがなくなるということで、体のために6年間で撤退、今のところに戻った。
 「今まで、ふたりとも風邪をひいたこともないし、寝たこともない」
 結婚して61年、一緒にがんばってきた。今だに自転車に乗っている。
 男の子が3人できて、お孫さんが7人。
 カラオケで北島三郎の「山」を大きな声で歌うのが楽しみだ。旅行にも年に何度もでかける。
 「親も見送ることができた。きょうだいもどうにかなってくれた。なにもないところから、ふたりで肉屋をよくここまでやってきたよ」

 
 亀有は住みやすい

(右から)糸川芳文さん、和代さん、美千代さん、芳秀さん、
お手伝いの小松崎さん、30年一緒の鈴木さん

 今では亀有といえば『こち亀』。
 この春にはTBS「噂の東京マガジン」の『一丁目一番地』のコーナーで志垣太郎が訪れた。見てみたい東京の銅像のランキング1位に両さん≠ェ選ばれて、その地元亀有が紹介された。
 そこで店で一番人気のみそ漬け肉を焼いて食べさせて、糸川さんは、「肉はうまい。肉が大好き。いい街だよ。物価は安いし、大きな事故がない。ヨソから来た人がみんな亀有に住みたいと言っている」と語っている。
 また、後日のTBS「はなまるマーケット」でも『こち亀』の亀有が紹介されて、お店のモツ煮込みを食べていった。
 ここでは番組のなかで『プロの豆知識・ハンバーグの味つけ』として長男の芳秀さんのお嫁さんの和代さんが講師となった。これが素人とは思えないほど、とても上手に説明している。
 「戦後に部屋を貸してくれた仲間≠フ子で、縁あって息子の嫁になった」
 平成8年から、店はバトンタッチして息子さん夫婦がやっている。無口だけど、どんなことがあっても弱音をはかない芳秀さんが、時勢に負けないで、きょうも亀有の街で元気にがんばっている。両さん≠フように。



    〔2009年(平成21年)10月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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