4世帯の生計を立てる肉屋    〜中島屋(中野区支部)の取り組み〜

(左)牛・豚・鶏が
 かわいい特製買物袋

 中島屋精肉店(中野区支部)は西武新宿線・野方駅から駅前のにぎやかな商店街を通って、西に向かうみつわ通り商店街の中ほどにある。自動車はよく通るが人通りはさほどないところだが、この店を目指してお客様が集まってくる。

  空襲≠フ良し悪し

 「戦争の時、周りの地域がみな空襲で焼けたのに、ここ野方だけはそのまま残った。それで戦後お客様が押し寄せて景気が良かった。その時にアーケードを作るなり、もう少し整備しておけば良かったと思う」
 店主の保坂勲さんが若い頃、小金井試験場で原付の運転免許証を取った時に、混んでいる道路の運転の仕方の映像が見覚えのある野方の街だった。今も細い路地に小さなお店が所狭しと並ぶ。
 また、みつわ通りは野方駅から西に住んでいる人たちが通う道だったのだが、野方駅の西隣に都立家政駅ができて人通りが減ってしまった。

  昭和10年創業74年

 保坂勲さんは昭和18年4月生まれの66歳。明治生まれの父・晴雄さんが山梨から東京へ出てきて、高田馬場駅前の鈴屋で肉屋の修業。
 やがて店を探していると、中島さんが「ハム屋になるので、継いでくれるなら譲りますが、そのかわり屋号を引き継いでくれないか」ということで、昭和10年中島屋精肉店を創業した。ことしで74年の歴史になる。
 「先代からだとここで80年やっている」

 
 和牛の雌が父の遺言

 「うちは和牛の雌しか使わない。ずっとそれを通している。オヤジの遺言≠セから」
 「食べ比べてみて口の中で一噛み二噛みするうちに、ポワーっと広がってくるおいしさがあるのは雌に限る」
 『牛肉は中島屋』という評判が定着している。年の暮れには枝肉で4〜5頭が売れる。
 「三が日にはどこの家でも必ず1回は、すき焼きやしゃぶしゃぶを食べるでしょう」
 晴雄さんは51年から6期12年、本部理事を務めた。

 
 43年12月店が全焼

 勲さんは3人きょうだいの次男坊、高校を出るとすぐに店を手伝った。兄の光男さんは大学を出て簿記の学校にも通い、店の経理を担当した。妹がひとり。
 マーちゃん、カーちゃん…のマカセタヨ≠フ5人の若い働き手もいて、ご用聞きも手広くやって繁盛していた。
 43年12月、夜中の2時、妹が火事だと知らせにきた。ひとり別の所にいた。父も兄も全員がやけどや飛び降りた骨折で入院した。生まれたばかりの兄の赤ちゃん、光晴さんを2階から投げたのを受け止めた。
 「順調に来ていて、私も兄も一番力の出る時だから、本当にショックだった」

(左から)卓さん、初代さん、冨美子さん、勲さん、光晴さん


 
 5人のスタッフ

 1年後に復旧して3階建ての現在の建物になった。4回ほど改装して今5年目だ。角地のため2方向から入口をとり、中にゆったりとしたスペースがある。
 「車が激しいから、中に入って安心してお買い物ができるようにした。車椅子でも大丈夫です」
 勲さんは30歳の時、明るくて美人の冨美子さんと結婚。お店に買い物にきていたお客さんに声をかけたらしい。銀行員からお肉屋さんになった。
 子どもはふたり。次男の卓(たかし)さんが大学を出て他の道から戻ってきた。もうすぐ初孫が生まれる。
 兄の光男さんは体をこわして今、闘病中。奥さんの初代さんと長男の光晴さんが一緒に働いている。
 「1店舗で4世帯が生計を立てているのは、あまり聞かないと思う。肉屋でもやり方次第でこういう店もあるということを、皆さんの励みにできたらいいなと思います」

 
 金曜日半額セール

 牛肉が売れる。豚・惣菜が30・30、牛が40の売上比率だ。店に来てくれる商売屋さんを相手にしているだけで、全くの小売り専門でもある。
 3年前から金曜日に半額セール≠行なう。月に一度、ちらしを入れる。その日は朝から行列ができる。去年からは銘柄牛も半額だ。
 「あまり儲けばかり考えると駄目。大きな商いをすると大鍋の底≠ノは必ずなにか残る。いいものを高く売るのは当たり前、いいものをいかに安く、お客さんに買い安い値段まで落とすかだ。いいものを安く売れば売れるハズでしょう」
 野方の周辺では以前肉屋が13店舗あった。今、中島屋だけになった。
 また、自家製のメンチ・コロッケがよく売れる。手が回らずにセルフサービス≠ノなっている。しかし、お肉に関しては対面方式の販売を重視している。
 「相対してお客さんと話をしながら商売しないといけない」

(左)毎月のちらし、毎週金曜日が『ビックセール』
(右上)「手作りのメンチ・コロッケがおいしい」
(右下)ゆったりしたスペースでお買い物。


 
 1200tのバイク

 昔は草野球をやった。チーム野方みつわ≠フ1番レフト、兄が4番ピッチャー。早朝野球の東京都の大会で2回優勝し、全国大会で後楽園や東京ドームで戦った。初戦敗退ではあったが、50歳を過ぎて足が動かなくなるまで活躍した。
 今、光晴さんが監督に就いている。
 勲さんのお気に入りはBMWの1200tのバイクでのツーリング。山梨のほったらかし温泉によくでかける。
 「これで高速道路を突っ走るのは気持ちがいい。ピッカピカにして走っているとみんな見る。それがまたなんとも言えなくてね」と笑う。
 健康だ。「丈夫な体に生んでくれた両親に感謝しています」





    〔2009年(平成21年)11月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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