大正10年そば屋として創業 〜ミートショップ・セキヤ(足立区支部)の取り組み〜

 これから迎える新年の初詣で賑わいを見せる西新井大師の近くにミートショップ・セキヤ(足立区支部)はある。創業は大正10年、最初はそば屋としてスタートした。その3代目は、肉屋の代表でありながら『少林寺拳法』でもちょっとは名が通っている。

戦前の桝屋。左端がおばあちゃん。 昭和26年の正月。前列左が初代。
前列右が両親。赤ちゃんが社長。
西新井大師本堂。「高校1年生の時
放火で全焼したのを覚えている」

  古い白黒写真2枚

 関谷芳久氏は昭和25年4月生まれの59歳。祖父の藤太郎さんが千住の『桝屋』に奉公、独立してそば屋と氷屋を営んだ。
 古い2枚の白黒写真が店に飾ってある。戦前の桝屋の写真には、重ねたそばの量を競う3人の店員のパフォーマンスが写っている。
 「まん中の人が『私ここで働いてました』って持ってきてくれた。確かに俺んちだった」
 父の正春さんは海軍の巡洋艦『厳島』の台所を預かる主計兵となって、カレーライスやコロッケやハンバーグを作った。
 「うどん粉とカラシでカレー粉を作って、そこからカレーを作った」
 戦後「これからは肉の時代」と、昭和23年には食肉販売に力を入れた『関谷商店』に衣替えをした。2枚目の写真には、牛中肉・豚中肉百四十圓となっている。百匁(もんめ)、375gだ。コロッケは五圓、めんちかつは十圓。
 父は組合の常務理事として47年から56年まで5期活躍した。

  結婚式の司会頼む

芳久・紀代子ご夫妻とシャコバサボテン

 3代目の芳久さんは明治大学政経学部を出た後、コアミ畜産の牛肉部門だった芝浦市場の東蓄で3年間勉強。
 さらに3年後の53年28歳の時に、紀代子さんと結婚、家を建て直して『ミートショップ・セキヤ』として現在に至っている。父は38歳の時に亡くなった。
 紀代子さんは小学校の同級生の妹だった。
 「先生が亡くなった葬式で色々話しているうちに『自分の妹をどうだ』って言われた」
 都心の保険会社のOLから肉屋になった。
 「この店に買物に来ていた」
 明治記念館での結婚式の司会を近藤一夫前理事長が務めた。父に決められた。
 「本当は友人に頼みたかった。当時あまり知らなかったからいやだったが、簡単な打合せだけで、実際は素晴らしい司会になった」

 
 シャコバサボテン

 お肉のケースの前にシャコバサボテンがきれいに咲いている。春はパンジー、梅、それからバラになったり、これからはシクラメンの季節だ。
 紀代子さんが丹精込めて咲かせた花々が店を彩る。
 「お客様が入ってくる時に、良い感じで入ってきて欲しいから。歩いていてもあっちこっちに咲いている花が気になってしょうがないの」

 
 出没!アド街ック天国

(上・左から)
お肉に貼るハートのシール。
紙袋。包装紙小。
(左)包装紙大。
  「みんな揃っている」

 昨年の1月、テレビ東京の『出没!アド街ック天国』で紹介された。北海道産の男爵いもをゆで上げ、最上級の牛肉の脂と豚肉の合いびきで作ったコロッケが評判だ。
 ところが放送では翌日来店された方にプレゼントのはずが、お店は休業日。
 「行き違いが重なった。申し訳なくて、その次の日に全員にコロッケを安くしてあげた」
 和牛のメスにこだわる。ミート&デリカ・タジマ(江東支部)から仕入れている。
 「田島実社長は高校の同級生。弟の雅之君は昔うちで修業していった」
 店は他に2人が手伝う。
 「今は高額商品が売れなくなった。消費者が買い控えしているようだ。外の納めがあるのでなんとかなっている」

 
 少林寺拳法と出会う

少林寺拳法
明大少林寺拳法部創部40周年記念誌

 高校生の時、ブラスバンドでトロンボーンを吹いていた。それが明治大学に入ってから少林寺拳法を始めた。
 「新しいクラブでおもしろそうだった」
 ちょうど学園紛争が盛んな頃。ロックアウトで教室に入れない。
 「授業がなくて朝から晩まで練習した」
 3年生の秋、日本少林寺拳法第7回全日本学生大会で総合優勝、団体乱捕(らんどり)の部でも優勝した6人のメンバーのひとりだった。
 40歳くらいの頃近くの小学校で子どもたちに教えていた所を、OB会の目にとまり、それ以来母校に再び通うようになった。今では母校の少林寺拳法部で監督・助監督に次ぐヘッドコーチを担っている。ことしは明治大学を総合2位に導いた。
 2000年の創部40周年記念大会では大会会長となり、来年50周年を迎える。現在は関東学生OB会連合会副会長でもある。
 大学の同じクラスだった上村春樹がモントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリストに輝き、この春、第5代講道館館長に就任した。

 
 少林寺拳法とは

 発祥はインドの格力、相撲だと言われる。それが仏教に取り入れられ、ダルマ大師によって中国に伝えられた。しかし正しい仏教も邪道からしてみれば迫害される。身を守るための護身術とした拳法を編み出したが、やがてすたれてしまった。
 昭和22年、宋道臣が敗戦の混乱を救うために中国で学んだ拳法をもとに、『少林寺拳法』として香川県多度津町に開創した。
 人づくりの手段として「自己確立」と「自他共楽」の教えを説いた。
 「力の供わざる正義は無力なり、正義の供わざる力は暴力なり」
 少林寺拳法は、剛法、柔法、整法の三法二十五系で成り立っている。剛法は突き・蹴り。柔法は抜き・逆・締め。整法は整体という技術である。
 剣道の胴を着けて12オンスのグローブで鉢巻をして闘う。1試合2分で決める。その立ち姿が凛々しい。





    〔2009年(平成21年)12月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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