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| 「手をたたくと、この獅子は獅子舞するんだよ」。店先に設けたハム売場が正月の装い。 |
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駅から遠い、住んでいる人が減っていく、高齢化していく、という立地条件のなかで、13匹の猫とがんばって明るく商売を続けている肉屋さんが、肉のクマザワ(北区支部)だ。懸命な営業努力で新しい年の扉を勢いよく開ける。
群馬県大胡町出身
山口清さんは昭和29年2月生まれの55歳。群馬県大胡(おおご)町(現在は前橋市)の出身。赤城山のふもとで高校生として学んでいた頃、親戚がやっていた「登多屋(とだや)」という卸専門の肉屋に誘われた。
「そこは7人の兄弟が全員肉屋で、大胡で長男がやっていて、次男が赤羽のここの近くでやっていた所へ勤め始めた」
住み込みで豚の卸をやった。やがて現在のところへ登多屋の出店が出て移った。が、なん年か経って売り上げが落ちてしまう。
「30歳頃まで働いた」
その後、2年間アンデス畜産で働いた。
昭江さんと結婚
奥さんの昭江さんは東京の下町の出。父が肉屋だった縁で登多屋に入り、アルバイトで清さんの店を手伝った。
54年11月のミッキーマウスの誕生日18日に、18歳で清さんと結婚した。
当時ガリガリに細かった。子どもを3人産むたびに太った。それが子育てを終えてからダイエットに挑戦、成功して世界が変わって、お酒を覚えた。おしゃれしてお酒を飲むのが今の楽しみ。
「若い時は地味だった。10年前からはじけて今、青春してます」
創業して23年経つ
61年、肉のクマザワを創業した。
「最初、クマザワさんと共同で開店しようとした。しかし本店が所沢にあったため通いきれないから、うちにまかせるということで、そっくり居抜きで譲ってもらって始めた。看板がすでにできていたので、自分の名前を使うより屋号≠ナいこうということで『肉のクマザワ』でスタートした」
創業して23年経つ。桐ヶ丘団地は32年にできた。今その建て替えをしている。そのため人がいない。東京の23区内で65歳以上の人がいる率が一番高い団地だ。
「始めた頃は桐ヶ丘商店街のなかに肉屋が5軒あった。今2軒だけになってしまった」
つらかったBSE
23年の歴史のなかで、BSEの発生した年末はほとんど売れなかった。尾を引いて年末の売り上げが戻るのには、3年かかった。
「その時は嫁さんが煮物をたくさん作ってカバーしてくれました。今はやっと良くなったけど、子育ての時はつらかった。本当に大変でした」
猫が好きなんです
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| 後が親のコウタ、左からソラ・ウミ、あとリクがいる |
「最初、隣で飼ってたデブ猫を引き取ってから、その後お兄ちゃんが死にかけの猫を拾ってきて、だめだと言ったら『ちび猫捨てるならデブ猫も捨てろ!』と、それからどんどん増えた。片目の猫を助けたり、知人にどうしてもと頼まれると断われない」
今では13匹になった。清さんは酒は飲まない、たばこもすわない。小遣いは猫の餌と猫砂に消えるが、嬉しそうだ。家族がみんな優しくて、動物が好きだった。
「だけど猫はかわいいです。息抜きになる、癒し系です」
A4・A5の牛肉
地元の人は少なくなって売上げが減ってしまったが、周辺の人が車や自転車でわざわざ買いにきてくれる。他と比べて『いいものを安く』して、固定したお客様をつけようと思っている。豚肉ではそういうことはないが、牛肉はいいものを売っていれば、決まったお客様が来てくれる。
「1回食べてもらえば、他のスーパーで同じ値段ならば、クマザワの方がおいしいとわかってもらえる」
それが逆にBSEの時には響いてしまった。
また、小学校と保育園に数軒納めている。朝は6時から始めている。お店の開店は8時、夜は7時まで。日曜日が休み。
ローストチキン
全員がB型の家族、ひとりひとり自分の道を行く。しかし、自分でこう決めたら、最後まできちんとやり通す。年末・正月は徹底してやる。
「人手がないのでハムのギフトはやめたが、牛肉のギフトに力を入れて、スーパーと差別化を図っている」
先日のクリスマスには昨年より1割多い挑戦をした。ローストチキンを売った。23日にお店を休んで焼いて、24日に温めて、もも焼き450個を売った。
「うちが持ってるのは朝の納めと牛肉です。それはしっかりやっています。それと嫁さんの手作りの料理が評判なんです」
パートさんと3人で店を構える。年末は娘さんが泊まりこみで手伝いにくる。
あと息子さんがふたり。本当は継いで欲しかったが、長男がひょんなことから魚屋さんになってしまった。
「でも子どもたちがまっすぐ育ってくれたことが一番です。あと何があります?」
〔2010年(平成22年)1月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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