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おいしいお肉をお買上げ。
左は夜には輝くネオン看板。 |
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京王線の府中駅には伊勢丹フォーリス、分倍河原駅にはサミットミナノ、JR武蔵野線・南武線の府中本町駅にはイトーヨーカドーとそれぞれ大型店がそびえる。そのちょうどまん中の位置の旧甲州街道に面して橋浦商店はある。学校給食の納めを中心に、おだやかに坦々と安くておいしいお肉を提供し続けている。
昭和28年に開店
橋浦正明氏は昭和19年12月生まれの65歳。豚の家畜商を営んでいた父の駒二郎さんが28年にお店を開いたのが始まり、正明さんが9歳の時だった。
ほとんどが卸しだったが、父は「買いに来てくださるお客様が一番大切だよ」と教えてくれた。
正明さんは5人きょうだいの長男で、高校を出て「父から見よう見まね」で勉強して、いつのまにか店を継いでいた。
美春さんと結婚
53年5月、美春さんと結婚、正明さんは34歳になっていた。ふたりとも遅い結婚だった。
美春さんは千葉県松戸市の出身、東京の会社へ通って普通の事務員として働いていた。
「両方を知っている人が、いつまでも結婚しないと年をとってしまうよ。一度お見合いをしてみたらいい、と勧められた」
美春さんが振り返る。
「遠慮がいらない人だった。初めて会ったのに、なんとなく前から知っていたような、あまり窮屈ではない人だった。会った時から、自分をよく見せなくてもいい、そのまんま出しても気を使わないでいられた」
子どもが4人できた。3人は女の子、末っ子の男の子が今26歳の太郎さん。一度は勤めに出たが昨年から店を手伝っている。こちらは結婚が早くてすでに2人の子持ち。お孫さんが5人になってにぎやかだ。
「そのまま変わらない、やさしい人」
美春さんは今だにご主人にそう言う。
3年前に建て替え
3年前に3階建てに建て替えて、店はまだ新しくきれいだ。
肉はしうら≠フネオンサインが珍しい。
「駅から来ると、昔、中央線国分寺駅まで砂利を運ぶ線路があった下河原緑道までは明るい。それを過ぎると真っ暗になる。だから派手なものを作ろうと思ったら、派手になり過ぎて、肉屋でなくて飲み屋の看板になってしまった」
納め80%・店20%
学校の給食センターができた時に、府中市内の肉屋さんの希望者で協同組合を作って参加した。7店が加入して約16年続いた。ある程度まで行ったところで解散、独自に続けるところは続けるということで続いている。
量目と時間に正確を要求されるので、手間が大変だ。
BSE以来、府中では学校給食に牛肉が使えない。
通りは車が走るばかりで、午後の昼下がりにはお客様は来ない。昼と夕方に特撰和牛や自家製のコロッケ・メンチ・串カツ・ヒレカツなどの惣菜を求めてくる。
「店を閉めるのは簡単だけど、なんとかがんばって、おやじの言った『お客様を大切に』を守っていきたいと思う。ただこれだけ大型店が乱立してくると……」
若い人と婦人同伴
府中地区には最盛期90軒の肉屋があったが、今13軒になってしまった。
地区長として考えることは、
「息子が始めてみて、勉強をしなければいけないことが色々あるのを見ていると、若い人たちを育てることを考えていかなければいけないと思う。多摩ブロックでは若い人が結構がんばってやっている。月に一度二度集まっては研鑽している。良くも悪くも次の時代を背負っていくのは若い人たちだからね。
それと、新年会や総会などはこれから夫人同伴でやろうと思う。新年会もそうしたし、奥様食事会もある。色々なところを回り歩いている。最近そういう楽しみが増えてきた。
府中地区は各々の状況に合わせて各人が分担して役をこなしている。私は息子が手伝ってくれるから外へでかける」
本部総務部理事として1時間半かけて本部の会合に顔を出す。
生き残りをかけて
「去年6月にミナノができて、今はヨーカドーが拡張工事をしていて相当大きな規模になるらしい。お客様が減ったどころではない」
学校・レストラン・病院などへ朝7時から納めの準備、店は8時から夜7時まで、日曜日がお休み。
しかし、橋浦さんにかかると、どんな時代になっても受け入れてこなしてしまう、柔軟さと強さを合わせもっている。
「どうにか生き残っていけるようにがんばっている」
ふたりで温泉旅行
府中と言えばすぐそばには東京競馬場がある。どうなのと尋ねると、
「若い時オートバイが好きで、ハーレーを買おうと思って通った。だけど後で考えたら、直接買った方が早かった。その分くらい馬券に注ぎ込んでしまった」
美春さんが語る。
「お客様に慣れるまで、挨拶が恥ずかしかった。初めはなかなか『いらっしゃいませ』が言えなかった。また、お肉の部位がわからなくて覚えるまで大変だった。でもやっているうちに慣れてきたし、覚えてきた」
ふたりで映画を見たり、ゆっくりのんびりと温泉へでかけるのが一番の楽しみ。
「波乱万丈ではなかったけれど、子どもが結婚したり、孫が生まれたり、その時々に喜びがあって、それなりに良かったねと、私は思ってる」
〔2010年(平成22年)2月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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