山坂を越えて、今、春爛漫     〜肉の鈴木屋(板橋支部)の取り組み〜

今はご主人が
テキパキと明るく
お客様を迎える。
2階は美容院に
貸している。
その飾り付けがきれい。

 東武東上線池袋駅から急行で1駅目、成増駅を降りて西へ少し歩くと、右にダイエーがあり、その左に「肉の鈴木屋」(板橋支部)がある。その先には川越街道が通り、その下には地下鉄成増駅がある。東京メトロ有楽町線が有楽町へ向かい、開通したばかりの副都心線が新宿・渋谷へ走る。午後の昼下がりでも人通りが絶えない。

  昭和45年に結婚

 圭子さんは昭和21年4月生まれ、19日で64歳。秋田県湯沢市出身、お酒の『爛漫』や『両関』で有名なところだ。
 父親が勤める蚕から絹糸をとり輸出を手広くやっていた会社が、化学繊維に押され、中学3年の時に倒産してしまった。
 働きながら東京の女子大の家政学部食物学科で学んでいた4年生の時、それぞれの友達の紹介で上原通泰(みちやす)さんと結婚し、45年に肉屋に嫁いだ。学校で学んだことが役立つとも思った。
 「この人はその時、学校の話しかしなくて、まじめな人だと思った」

(上)昭和48年(1973)の日付の店の写真、
  圭子さんひとりで
(下)「肉巻きの中身は内緒、企業秘密です。
  食べてみてのお楽しみ」 


  47年に父亡くす

 「肉の鈴木屋」は、通泰さんの父の静男さんが戦前に開店した。
 「おじいちゃんが中野の屠場から豚をリヤカーで引いて、豚屋をやっていた。おばあちゃんが再婚して鈴木姓になっていて「鈴木屋」と名乗ったが、ふたりの子供が戦死してしまって、前夫の子の静男さんが引き継いだ」
 通泰さんは昭和16年4月生まれ、17日で69歳。6人きょうだいの長男で、高校を出ると父から見よう見まねで身おろしなどを教わった。
 圭子さんが結婚した頃は、父と毎日手伝いにきていた姉と3人で店をやった。
 下の弟の蔦吉(つたきち)さんは埼玉県和光市で、次の弟の金次郎さんは多摩北支部の西東京市泉町で肉屋を営んでいる。弟たちは働き者だった。
 ところが、47年に62歳で父が亡くなった。

 
 遊びが好きだった

 結婚して2年が過ぎて、圭子さんも肉屋として大体できるようになっていた。
 しかし、店が古くなっていたため改装して新しくした。そして新規一転スタートを切ったはずだった。
 「私はひとりで働きました。人が寝てる時も働き、人が遊んでる時も働いた。ミチヤスさんは朝2、3時間だけ仕事をして、お昼からは友だちと遊びに出て、夜も帰ってきませんでした」
 夫が遊んでいるから、親きょうだいもいい顔はしない。
 「ババヌキのババに当たった」
 圭子さん、今は笑う。

 
 4階建てのビルに

 55年には現在の4階建てのビルにした。すると売り上げが倍になった。
 「苦労しましたよ。結婚してから生活費をもらったことがない」
 泣いたけれど、一番上のお姉さんに諭された。
 「離婚しても同じ人生だよ。もっとひどい人生を送るよと言われた」
 一方、通泰さんは高校時代に覚えた麻雀がおもしろくて仕方がない。仲間の誘いも断われない。
 そのうちに競輪場にも通うようになってしまう。
 50歳を越えて数年経つまで、そんな日々が続いた。

 
 圭子さんの入院

 今から16年前、圭子さんがとうとう甲状腺の病気になって、3週間入院した。息子さんは外で肉屋の修行中。
 「お勝手から店まで全部ひとりで、『おかあさんが帰って来るから』って掃除してたって娘が言ってた」
 通泰さんの憑(つ)き物がやっと取れた。上原さん夫妻の第二の人生の始まりだった。
 「おかあさんには頭が上がらない」

 
 久明さんが後継ぎ

 3人の子供ができて、長女に孫が3人。3番目の次女は大手物流会社勤務の夫と一緒に、1年前からニューヨークへ転勤、孫が3人。
 真ん中の久明さんは47年生まれの37歳。群馬県の食肉学校で1年学んだ後、文京支部の彦坂牛肉店で2年弱「よそのごはんを食べないと駄目」ということで修業してから、お店に入った。
 「おかげさまでまわりにマンションの大きいのが建って出入りがある。出ていく人もいれば、また新しく入ってくるお客様に少しずつ来ていただいている。
 地道にゆっくりやりますよ。大昔のいい時代とは違うでしょうから、そんなにがむしゃらにならずに、細く長く個人店は個人店なりにがんばっていきたい」
 3か月の赤ちゃんの子育て中。孫が全員で7人になってにぎやかだ。


 
 夜11時まで営業

 目の前のダイエーに合わせて、夜11時まで営業、開店は10時。日曜祭日がお休み。ダイエーができて20年。近くの個人の物品販売店が数えるほどに減ってしまった。
 惣菜が主で7割。30種類を扱う。肉巻き・かぼちゃフライが新製品で人気。コロッケ・メンチ、カツ類、唐揚げ、肉団子、ヤキトリ、もも焼き、煮物、サラダなど。
 お弁当はやってない。

 
 いつまでも末長く

 一時期都内に5000軒近くの仲間がいたのに、淋しくなってしまったね、と語る。
 「お店をずっと続けていって、息子家族と一緒にいつまでも末長く、肉屋としてなんとか生きていきたい」
 ふたりで旅行が好き。東京メトロの一日乗り放題に行ったり、日帰りバスツアーで方々にでかける。写真は吹割の滝≠フ前で仲良く。
 「今は実家にいた娘時代と同じ境涯になれました。普通の生活に戻りました」
 ことしも光が丘公園の桜が満開になった。





    〔2010年(平成22年)4月20日号「東京食肉新報」掲載〕

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