3代続く根津駅ビルのお店     〜寺島商店(文京支部)の取り組み〜

店の右側に不忍通りが走り、そこは地下鉄千代田線の池之端口の出入口になっている。

 下右の写真の真ん中の青年が、前回のこのコーナーで紹介した修業中の足立区支部の斉藤強さん。その両側が今回紹介するX寺島商店の創業者・寺島栄さん、よしさん夫妻。下左のモノクロ写真の左端の白衣の人が2代目・重太(しげた)さん。そしておじいちゃんに抱かれた赤ん坊が3代目の祥雄(よしお)さんだ。

昭和29年頃 昭和41年2月

  昭和4年の創業

 X寺島商店の創業は昭和4年、ことしで81年の歴史を刻む。千葉県柏市出身の寺島栄さんが『肉が大好き』だったが、近所に店がなくて東京へ出て肉屋をやりたくて、文京区根津で創業した。
 32年11月の環衛組合創立、38年1月の事業組合創立の頃、本部理事として活躍した。
 2代目の重太さんは63年から3期、本郷支部の支部長。平成6年から2期、本部理事。10年から3期、中央ブロック長として組合の発展に貢献した。
 高木ブーが奥様の敏子さんのはとこ≠ノあたり、喜寿のお祝いの礼状が届いていた。

  千代田線が開通

 3代目の祥雄さんは昭和28年7月生まれ、15日で57歳になる。きょうだいは一緒に働く妹さんとふたりだけで、当然家業を継いだ。川口市出身の和子さんと結婚して今大学3年生の息子さんがひとり、継いでくれるかが気がかりなところだ。
 44年に地下鉄千代田線が開通。根津駅の池之端口の出入口になって、その際地上4階・地下1階の駅ビルに改築した。
 「不忍通りに都電とトロリーバスが走っていて須田町や浅草へ便利だったけれど、地下鉄は日比谷へ出るのにすごく便利になった」

  下町と新しい住民

 「石ちゃん(石塚英彦)が去年、メンチカツを食べに来た」
 メンチやコロッケ、カツは注文を受けてから揚げるようにしている。少し待ってもらうようになるけれど、ずっとそうしている。
 「牛肉も料理の仕方をお客様に聞いてからカットしている。そこが対面販売の良さだと思う」
 病院や会社食堂の納めを数十軒扱っているが、ここへ来て委託業者が価格・サービスの競争を仕掛けてきて変換を迫られている。結果的に卸・小売の比率が8・2から6・4へと変わって来ている。
 一方、下町の雰囲気だった所に最近では高層マンションが建設されて、新しい住民が増えて、惣菜の売り上げが増加、牛肉の高級部位が出るようにもなった。
 「駅ビルという立地条件を活かして、新しいニーズに応えて惣菜や料理の半製品に力を入れてみたい」

  9人でにぎやかに

全員集合! 左から2番目が祥雄さん、中央が敏子さん、右端が和子さん

 店は今9人が働いている。敏子さん、祥雄さん、和子さん、妹さんの4人と他に5人のスタッフ。店内は明るい雰囲気。
 祥雄さんが社長になって7年。
 「納め・小売と両方やって、土曜も忙しい思いをしていたけれど、時代の流れのなかで今、少し落ち着いてきた」
 根津は下町観光名所になっていてつつじまつり≠ニ下町まつり≠ェ毎年開かれる。
 また、毎年社会見学がある。台東区立忍岡小学校3年生がコロッケの揚げるところや、地下の冷凍庫にビックリする感想が寄せられている。

  多芸多趣味な社長

 寺島社長は多芸多趣味だ。明治大学では52sの体格で相撲部に入部。高校の東京大会で3位の成績を掲げて入ったが、全然勝てなかった。道場の横では足立区支部の関谷芳久氏が少林寺拳法の練習をしていた。

まあ〜いっぱいどうぞ!!

 陶器鑑賞にはまっている。中村六郎・原田拾六作の器を気にいっている。備前焼の徳利と猪口を出してきて、ポーズをとってくれた。
 「日本酒の味が変わる。そして器が育つんです」
 『らんちゅう』歴22年になる。日本らんちゅう協会東部本部理事だ。品評会で取締≠受賞したことがある。
 「ポイントは背が凸凹のない丸いつげ櫛の形。尾が開いて均等に左右対称の尾型をしている」
 大関を3年連続とると横綱の名誉称号に輝く。東大関に続いて4番目の位が取締だ。
 「300匹を池に入れても帰りに自分のらんちゅうを持って帰る」
 落語もやる。先日初高座で15分間『半分垢』という人情噺を披露した。
 「人前で話をする機会がふえて、あがってしまい思っていることの半分しか言えないので、話し方教室のつもり、ボケ防止にもなる」
 奥様の和子さんも、ご主人が風呂で練習しているのを聞かされて覚えてしまった。
 また、敏子さん・和子さんと3人で毎月1回、宝塚歌劇を見に行く。これが3人の共通の趣味。
 最後にゴルフ。オープンコンペにひとりで参加してしまう。
 中央ブロックでは8月の第5日曜日の29日に6、7組でコンペを開催する。昔、年2回やっていたものが途絶えていたのを復活して、年1回ずつ開催、3回目となる。

  いつも発想豊かに

 「高校生の時、新聞が学生運動ばかりになって班長が目をつけられてしまって、体育会系の自分が代理で新聞班の班長になった。だれも見ないで捨てられていた新聞に連載小説や漫画を載せ、女子高へ他校訪問した記事を掲載すると、みんな読んで捨てなくなった。その体験を大事にしたい」
 豊富なアイデアとたくましい実行力を備えて、おだやかな笑顔で語る。

高層マンションの先にお店


    〔2010年(平成22年)7月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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