三鷹市でがんばる若社長     〜肉の小清水(多摩東支部)の取り組み〜

 (上)三鷹の森ジブリ美術館。
 (下)人見街道の新川交差点に店がある。

 多摩東支部の「肉の小清水」は10月5日に改築オープンした。中央線吉祥寺駅からバスで南へ、人見街道と交差する新川で降りたところにある。途中には三鷹の森ジブリ美術館が賑わっていた。

(後左から)野村さん、今村さん、小清水英斗さん。
(前左から)小川さん、姉の雅美さん。

  若き3代目経営者

 小清水英斗(こしみずひでと)さんは昭和44年8月生まれの41歳。
 姉の雅美さんと4人の常勤と2人のアルバイトを使って、元気いっぱいに店を盛り立てている。
 「改築が決まってからのこの2年間大変だった。これからも大変だと思う」

  祖父の大昔の事件

 戦前の16年に祖父の鎌次郎さんが当地で創業。本家が武蔵境にあり肉屋を営んでいたが、兄弟が多くいて枝分かれして三鷹市新川にやってきた。
 ところが4年後に亡くなってしまう。戦死ですかと尋ねると、
 「ちょっと変わってる。無類の酒好きだったおじいさん、現金を持ってある山奥に牛を買い付けに行ったところで、仲買人に酒に毒を盛られて殺されてしまった」
 その後を引き継いだのがおばあちゃんのキミさん。
 「『肉の小清水』の基礎を作った人です」

  父の昇さんが拡大

 父の昇さんはその事件の時、12歳。現場にいたが、小さいからよく覚えていない。数十年たってから警察に真相を聞かされたが、時効にした。
 弟ふたりとキミさんと4人で店を発展させた。正式には「小清水昇商店」が社名になっている。
 しかしもう一度事件が起こる。
 英斗さんが生まれる年の正月2日の昼、大勢の親戚や従業員が集まっているところで、火事を起こして全焼してしまった。その時建てた店が老朽化したために、今回建て替えることになった。
 昇さんは3年前に74歳で亡くなった。

  一大事業を達成
ピカピカの店内

 店は4階で上は賃貸にして、他に母と姉との住まいも同時に建てた。
 その間1年間は仮店舗での営業、ここが南向きだったためにこの夏の酷暑で大変な目にあった。また、信号を2つ越えただけの近くなのにお客様は来てくれなかった。
 「お客様商売は難しい」
 開店セールは静かにやった。お客様が「ようやく帰ってきた」と来てくれて嬉しかった。その間に新しい住民が住んでいて、店があったことを知らない人が来るのにもビックリさせられた。
 店構えがおとなしい。
 「前は肉屋肉屋してて一目で肉屋とわかったが、色々考えてシックにした。夜になると下からライトが照らして店名が銀色に光る。でも思ったより暗かった」

  惣菜・弁当が出る

 売上は卸と店で半々、店は惣菜が6割を占める。2軒隣に弁当屋さんがあるが、「こっちが先にいる」と動じない。
 「お客様がおいしいと言ってくれる」
 電話がしょっちゅう鳴る。大小を問わず注文を受け付けて配達をしている。配達要員も揃えている。
 お肉屋さんの揚げたて惣菜でお弁当にする。とんかつ弁当やコロッケ・メンチ弁当など、お好みの揚げ物を選んで自分の好きなお弁当にできる。
 ライスや野菜の量も変更できる。大盛ライスや大盛野菜、その組み合わせ、ライスのみ・野菜のみのメニューも受け付けて好評だ。
 焼肉のタレで炒めたおいしい国産の牛肉・豚肉を豪快に丼ごはんに乗せた牛スタミナ丼・豚焼肉丼も人気だ。

  気さくな肉屋さん

 休みは日曜・祝日、営業は朝10時から夜7時まで。
 「だれもが気軽に入れる気さくな肉屋さん≠ノしたい。
 お客様の求めるものが変わっていっても、なんでもそれに対応できるようにしておこうと思う。
 誕生日や特別の日にはステーキやすき焼きを食べる。その時はコシミズさんに行けばおいしいお肉があるから行こう、となってくれればいい」

  売れるおもしろさ

 「ようやく売れるとおもしろいことがわかってきた」
 高校を出てしばらくしてハタチの頃に店に入った。父やその弟さんふたりから見て覚えた。
 キミさんから小さい時から跡取りになるべく育てられた。
 「お前は大人になったら肉屋だと。あーそうなんだと思っていた」
 帽子の下は金髪だ。お客様が『帽子をかぶった人』と呼んでも、みんな帽子をかぶってるから誰だかわからない。そこで10年程前に髪の毛を脱色してしまった。それ以来『金髪のお兄さん』で区別ができ、しかも責任がとれるようになった。
 入った20年前は回りは年上の人ばかりだった。それが今では自分が一番年長になった。
 今、仕事がおもしろくて、一生懸命な若社長だ。商売をもっともっと軌道に乗せたいと奮闘している。

店頭に掲げられた様々なPOP



    〔2010年(平成22年)11月15日号「東京食肉新報」掲載〕

ページ先頭に戻る