仲御徒町で3兄弟で続けるお店
〜X上原商店(台東支部)の取り組み〜
(左から)
奥様のとし子さん、上原功さん。
弟の亘さん、小野剛さん。
東京メトロ日比谷線の仲御徒町駅を降りた一画は、4つの広い道路に囲まれて、東京大空襲の時も懸命なバケツリレーの消火もあって延焼を免れた。その真ん中に位置する上原商店(台東支部)は関東大震災後に建てた家のまま使っている。昔は竹町と呼ばれていた。
昭和11年の創業
上原功さんは昭和17年5月生まれの68歳。上原商店の2代目だ。
父の昌治(まさじ)さんは埼玉県比企郡川島町の出身。唐木細工の職人としてタンスなどを作っていたが、不景気のため肉屋に転向。叔父さんのやっていた三筋町・愛知屋で2年間修業して、11年に現在地で創業した。
功さんは4人きょうだいの長男。今、ふたりの弟の亘(わたる)さんと小野剛さんの3人で働いている。妹の千代子さんは文京支部の小沢ミートに嫁いで、家族がみんな肉屋になった。
下谷支部長を12年
父は42年から53年まで12年間、組合の下谷支部長を務めた。
その頃組合ではチルドビーフの指定店制度が始まり、豚肉のセット販売もあった。功さんはほとんどの事業を手伝った。
中学生の頃から店を手伝って都立京橋商業を卒業する時には肉屋のすべてができるようになって、そのまま店に入った。
50年に組合は4885店を記録、最大規模になった。53年12月、父が亡くなった。
重量挙げのメダル
高校では平沢和夫中央ブロック長と同級生だった。中学でふたりとも柔道をやっていたが、上原さんは高校ではウエイトリフティングに変更。大学4年で東京オリンピックに出場の予定だったが、ケガをしてしまって、夢は絶たれた。
そんな中学生のある日、学校から帰ると、家の中のあらゆるものに赤紙が貼ってあった。差し押さえられたのだ。父が保証人になっていたことで、店が競売されそうになった。大事件の勃発で店を手伝わざるをえなかったのだ。
ありえないと思える、債権者からの適切な助言で、裁判所の手続きで差し押さえ・競売が取り消されて、供託で返すことで店を手放さずに済んだ。
「店があれば返すことができたけれど、なくなってしまえば…」
ハラールマーク
平成の始めの3年間、今までで一番景気のいい時を過ごした。上野のアメ横に構える店からイスラム教徒向けの肉の問い合わせがあった。チキンやマトンをイスラム教徒がお祈りをして、と殺した肉に証明書をつけたハラールマーク付≠扱って大きな売り上げを記録した。
バブルの景気も加速して最高の売り上げを記録したが、やがて不法侵入の入国者の強制送還で下火になった。バブルもはじけた。
卸が9割以上に
多い時は父と兄弟3人と、57年間勤めた板前さんもいて、5人も働いていた。昔は結構人通りもあった。
今では卸の売り上げが9割以上になる。近所の飲食店数十店と千代田区の牛丼屋と葛飾区のステーキ店が主なところ。
営業時間は朝7時半から夜6時半まで。日曜・祭日が休み。
「解脱会」支部長
「解脱会」御徒町支部の支部長。
店の2階が道場になっている。
上原さんは、信仰者の面を抜きには語れない。
「『解脱会』は昭和4年に会祖・岡野聖憲によって創立された在家宗教・超宗派を本旨とする教団です。生活即宗教と捉え、敬神崇祖・感謝報恩を日々実践することにより万物共存共栄の平和な実現を目指しています。」
同会の月刊誌から引用。上原さんは、全国400支部あるうちの御徒町支部長を務めている。
「先祖を供養し氏神様を大事にしなさいという教え。この辺では下谷神社へのお参りをしている。
生命をいただいている御礼。世のため他人のため働かせてください。と朝夕お祈りをしている」
4・13・24日に例会がある。店の2階に御神前がある。
アメリカに初孫
49年12月、とし子さんと結婚。埼玉県北本市にある解脱会の御霊地道場のまん前にあった米屋の娘さんとお見合いを勧められた。
「どちらも返事した覚えがないうちに、結納になり結婚式になった」
上原さんはその時32歳、同会の青年部幹部で忙しく、月のほとんどを活動に費やしていた。
「結婚は覚悟の問題。合わせて一緒に暮らせられれば大丈夫」
子どもが3人できて、息子が昨年の夏まで店を手伝っていたが、先行きが不安で別の道に行かせたのが少し気がかりだ。
娘のひとりは高校からアメリカへ留学して、そのまま結婚。この11月8日に赤ちゃんが生まれた。とし子さんが初孫を見にニューヨークへ行ってきたばかりだった。
「できるだけ声を」
この春から組合の常務理事に就いた上原さんは組合の事業には父の代から一貫して協力している。一般の相場の抑止力にもなっているという思いもある。
平成12年から17年まで下谷支部長を務めた。BSEの時は暮れの12月に2回、支部で試食会を開催。浅草六区と台東区役所で牛肉の安全を訴えた。
「今、組合の支部会に出てこない人が圧倒的に多い。できるだけ声をかけて出るように言っている。若い人にも少しずつ誘っている。そうしないと役員が若返っていかない。支部長もがんばっているけど、参加が少ないと滅入ってしまう」
終始おだやかに缶ピー≠フ空いた缶を灰皿替わりにたばこのピースを吸いながら語ってくれた。吸い始めから大好きな缶ピーが値上がり前に買いだめしてあった。
「おやじの時代から、お互いに助け、助けられて、商売をやってこられた。同業者が応援してくれたおかげで今がある。その恩返しをしなければならない」
〔2010年(平成22年)12月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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