万全な衛生管理で安心・安全なお肉を提供
   
      〜Xむら八(文京支部)の取り組み〜

(左)竣工当時の社屋、(上)現在の社屋入口。 創業者 平沢長吉さん

 文京区根津で41年も前に、8階建てのビルを建てたお肉屋さんがいた。Xむら八(文京支部)の創業者は「自分の力が試してみたく15歳のとき単身上京した」(会社案内から)。しかし、今も流れているものは、多くの人の和≠ノよって、発展がなされてきたという事実だった。

   「むら八食堂」から

 平沢和夫さんは、昭和18年3月生まれの67歳。「Xむら八」の2代目だ。
 父の長吉さんは新潟県小千谷市の出身。昭和2年15歳の時、単身上京して食肉問屋の千住・須原に奉公。やがて得意先だった「むら八食堂」を引き継ぎ、現在地で食堂経営を始めた。
 当時食糧事情は思わしくなく、食肉も一般の家庭では縁が薄かった。長吉さんは確信する。菜食主義の日本の家庭にも、肉類は食卓に欠かせなくなるだろうと…。22年、食肉業界に参入した。
 28年9月、「汲゙ら八」を設立。
 「岩手県盛岡市に村上八郎さんが経営する『レストランむら八』があって、その支店だったらしいが、先代が、東京は人が多い所だから変わった名前がいいと言って、そのまま引き継いだ」

   45年1月8階ビル

 36年、長男の和夫さんが高校卒業と同時に入社。しかし、その年の12月、父が脳溢血で倒れてしまう。それでもその後25年間、父に見守られて発展してきた。
 44年12月、地下鉄千代田線が開通。そして、45年1月、長和ビルが竣工した。親子の名前からつけたビルの名前だ。8階建てはまだ周りに1つもなかった。
 「ちょうど東大紛争の安田講堂事件の時、コンクリートが打ちあがって上まで上がれたので、放水やヘリコプターの飛ぶのが見えた」
 今では前方にはビルが建って見えないが、後方にはなにもないので、屋上から建設中の東京スカイツリーがよく見える。
 45年4月、株式会社に組織変更、和夫さんが代表取締役に就任した。5月には珠江さんと結婚、公私ともに充実した年となった。

   発展は人の和≠ナ

 そんな時できあがったのが右の写真の会社案内=BB5版12ページ。新築のビルの写真、長吉会長と和夫社長の挨拶、会社概要、社内風景、仕事もまた楽し、楽しいスポーツ&レジャー等々。昭和の古き良き時代が誌面にあふれている。
 「これを持って新潟や母のいなかの栃木の中学校や知り合いの所へ金の卵≠探しに行った。一番に家族的な雰囲気を大切にしてきた。会社の旅行には、いなかの親ごさんたちも招待した。
 父や母の大勢のきょうだいに支えられて、みんなが手を貸して協力してくれたおかげで、ここまで来られた。やはり人の和≠ェ大事だ。人を裏切らないことだ。お客様も従業員もどこまで信頼でつながれるかだと思う。人以外にない」

   納めの卸100%

 6年前まで、1軒置いた先に根津営業所があり小売もやっていた。ところが前の道路が拡幅になり2m削られてしまうため閉店。
 今は納めの卸100%だ。設立当初は飲食店向けに商売。やがて枝肉からカット肉にして小売屋さんへの卸販売に移ったが、今では部分肉を加工して飲食店への業務用納めに戻った。
 都内の飲食店や病院・老人ホーム・給食、そして韓国家庭料理屋さんが売り上げの3本柱。
 社員20名・パート4名が働く。

   食品衛生自主管理

 店をやめた際、ビルの裏手に工場を新設した。
 そして新たに衛生管理を主体とする体制を築いた。設備的には入口に長靴の消毒と白衣の防塵装置、包丁を収納する殺菌ケースなどを完備している。
 また、従業員は白衣と帽子は必ず着用し、手洗いと消毒を励行している。
 毎月1回は第三者機関の業者による、研修会を持っている。マニュアルを元に作業する人が守れるように、徹底的に教育がなされている。
 防虫防鼠の対策も練られ、ゴキブリやねずみの駆除も話し合っている。
 『東京都食品衛生自主管理認証取得』の食肉総合販売会社として、5年目になった。
衛生管理完備の工場
長靴の殺菌 防塵装置

   3人もの後継者

 平沢さんには4人の子どもがいる。女の子がひとりに3人の男の子。
 長男の和孝さんは専務、高校を卒業してすぐに入社した。
 「私と同じで他所で修業の経験がない。私もいい番頭に恵まれて良く教えてもらった。だから心配はしなかった」
 次男の将夫さんが常務、三男の稔夫(としお)さんが総務として一緒に働いている。稔夫さんがことし結婚の予定でみんな所帯をもつことに。お孫さんも5人になった。
 祖父から父へ、そして子へ。「形式ばった規則規則は好きではない。血の通った人間の感情でやっていきたい」とおだやかに話す。
(左から)稔夫・和孝・将夫さんと平沢和夫さん

   ブロック長として

 この冬、直木賞をとった『漂砂のうたう』の題材が根津遊廓だった。「地元のことをあまりに知らな過ぎるので恥ずかしい。今勉強をしている」
 会社の今後も見通す。「安心・安全をアピールして勝ち残ることも競争。値段の競争には逆行したくはない。本当の意味で『むら八』を必要としてくれるお客様に確実にいいものを届けたい。そこに磨きをかけて成長を図りたい」
 中央ブロック長に就任して1年。ようやくどうするべきかが見えてきたところだ。
根津神社、つつじはまだ 屋上から東京スカイツリー



    〔2011年(平成23年)3月15日号「東京食肉新報」掲載〕

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