(有)松村商店
建設中の「秋川渓谷リバーティオ」に立つ松村和夫社長
都会の喧騒を離れた、同じ東京都とは思えないほどに緑豊かな秋川渓谷。その川のほとりに、建設中のログハウスコテージ10棟が並ぶ。真新しい材木の香りに満ちた室内は、バス、トイレ、キッチンを完備し、洗濯機や冷蔵庫などの家電製品も充実。収納式のベッドを備え、吹き抜けでつながった2階から光が注ぐ空間は、別荘感覚で心を癒してくれる。「秋川渓谷リバーティオ」と名付けられたこの施設の建設は、㈲松村商店(あきる野市小中野)の社長・松村和夫さんが進めている。異色の事業に取り組んでいるのは、地域活性化に伴う行動の積み重ねから発していた。
都会の喧騒を離れた、同じ東京都とは思えないほどに緑豊かな秋川渓谷。その川のほとりに、建設中のログハウスコテージ10棟が並ぶ。真新しい材木の香りに満ちた室内は、バス、トイレ、キッチンを完備し、洗濯機や冷蔵庫などの家電製品も充実。収納式のベッドを備え、吹き抜けでつながった2階から光が注ぐ空間は、別荘感覚で心を癒してくれる。「秋川渓谷リバーティオ」と名付けられたこの施設の建設は、㈲松村商店(あきる野市小中野)の社長・松村和夫さんが進めている。異色の事業に取り組んでいるのは、地域活性化に伴う行動の積み重ねから発していた。
店主より一言
店舗情報
連絡先 |
TEL:042-596-0253 FAX:042-596-5260 |
---|---|
住所 | 〒190-0165 あきる野市小中野116 |
URL | e29-matsumura.com |
店舗PR、お知らせなど
店頭に並ぶ秋川牛。中には売り切れているものも
高校卒業を待って
戦前から都内で精肉店を営んでいた父・兼丸さんを、現在の店舗があるこの地へ向かわせたのは戦中の空襲だった。焼夷弾で店舗が焼け、実家がある五日市町(当時)へと疎開。終戦後は都心へ戻らず、そのまま居を構えた。店舗は持たないで、農家と取引して都心の精肉店などと取引する卸売商として事業を進めていった。
転機が訪れたのは、昭和31年。兼丸さんは松村さんの高校卒業を契機に、精肉店の店舗を建てて開業した。店に入った松村さんは農家へ仕入れに行き、飲食店へ納める、年中無休の日々。幼い頃から手伝いをしていたものの、多くの同世代が遊んでいる姿を見ると「うらやましかった」。
やがて、松村さんは小売部門、弟・育夫さんは問屋部門と役割を分担し、地元スーパーに最大11店も展開していった。兼丸さんが亡くなると、33歳で「何もわからない」まま跡を継ぐことに。昭和59年には店舗周辺が区画整理の対象となったことを機に、小売店舗、作業場、事務所などがまとまった、現在の店舗に改装した。
平成6年には松村社長が長年にわたり温めていた事業である「コテージ・森林村」を開設。JR武蔵五日市駅から車で約5㌔の森林に、宿泊施設やバーベキュー場を備え、自然と戯れる空間となっている。インターネットを活用して評判を呼び、行楽シーズンや夏の間は多くの行楽客で賑わいを見せる。
東京のブランド牛
バーベキューを楽しみに来るお客にも大好評なのが、同店の看板商品でもある秋川牛だ。東京のブランド牛として知名度も高く、「他のブランド牛と変わらない美味しさか、それ以上」と松村さんは太鼓判を押す。
店頭のショーケースを見ると、秋川牛の肉が売り切れていた。評判を聞いた行楽客から、バーベキューなどで大量の注文があったためだ。牧場の担い手が1軒しかないので、仕入れは月に2頭にとどまり、行楽シーズンは不足しがち。次の仕入れがあるまで、空のままになってしまうこともある。
秋川牛が評判になったきっかけは、秋川市と五日市町が合併してあきる野市になる20数年前にさかのぼる。商工会で各店が名物を出す「一店逸品運動」を実施することに。役員をしていた松村さんは、コロッケなどのありきたりのものではなく、まだ知名度が低かった秋川市の秋川牛の掘り起こしを考えた。
しかし、秋川牛は出荷が間に合わないほどの少数飼育。しかも、当時は秋川市と五日市町は行政が別々だった影響で、松村さんが牧場へ交渉しても難航した。合併であきる野市が誕生したことを機に再挑戦したものの、交渉は実らなかった。それでも粘り強く通ううちに「松村さんの店1軒だけで扱うなら」との条件で了解を得た。
「東京都内でも美味しい牛肉がある」と評判になり、マスコミが取り上げたことで売り上げは上昇。都心の料理店でも秋川牛を押し出したメニューが見られ、中でもソムリエの田崎真也氏がオーナーを務めるレストランで取り扱いがあったことでも有名になった。
また、昔から伝わる団子汁をアレンジして秋川牛を加えた「だんべえ汁」は、平成24年の「第1回多摩げた食の祭典大多摩B級グルメ」で初代ゴールドグランプリを獲得。秋川牛の美味しさと知名度を証明した出来事だった。
秋川牛が、様々な面であきる野市の町おこしに大きく貢献した。その源は、松村さんの粘り強い交渉から始まっている。
戦前から都内で精肉店を営んでいた父・兼丸さんを、現在の店舗があるこの地へ向かわせたのは戦中の空襲だった。焼夷弾で店舗が焼け、実家がある五日市町(当時)へと疎開。終戦後は都心へ戻らず、そのまま居を構えた。店舗は持たないで、農家と取引して都心の精肉店などと取引する卸売商として事業を進めていった。
転機が訪れたのは、昭和31年。兼丸さんは松村さんの高校卒業を契機に、精肉店の店舗を建てて開業した。店に入った松村さんは農家へ仕入れに行き、飲食店へ納める、年中無休の日々。幼い頃から手伝いをしていたものの、多くの同世代が遊んでいる姿を見ると「うらやましかった」。
やがて、松村さんは小売部門、弟・育夫さんは問屋部門と役割を分担し、地元スーパーに最大11店も展開していった。兼丸さんが亡くなると、33歳で「何もわからない」まま跡を継ぐことに。昭和59年には店舗周辺が区画整理の対象となったことを機に、小売店舗、作業場、事務所などがまとまった、現在の店舗に改装した。
平成6年には松村社長が長年にわたり温めていた事業である「コテージ・森林村」を開設。JR武蔵五日市駅から車で約5㌔の森林に、宿泊施設やバーベキュー場を備え、自然と戯れる空間となっている。インターネットを活用して評判を呼び、行楽シーズンや夏の間は多くの行楽客で賑わいを見せる。
東京のブランド牛
バーベキューを楽しみに来るお客にも大好評なのが、同店の看板商品でもある秋川牛だ。東京のブランド牛として知名度も高く、「他のブランド牛と変わらない美味しさか、それ以上」と松村さんは太鼓判を押す。
店頭のショーケースを見ると、秋川牛の肉が売り切れていた。評判を聞いた行楽客から、バーベキューなどで大量の注文があったためだ。牧場の担い手が1軒しかないので、仕入れは月に2頭にとどまり、行楽シーズンは不足しがち。次の仕入れがあるまで、空のままになってしまうこともある。
秋川牛が評判になったきっかけは、秋川市と五日市町が合併してあきる野市になる20数年前にさかのぼる。商工会で各店が名物を出す「一店逸品運動」を実施することに。役員をしていた松村さんは、コロッケなどのありきたりのものではなく、まだ知名度が低かった秋川市の秋川牛の掘り起こしを考えた。
しかし、秋川牛は出荷が間に合わないほどの少数飼育。しかも、当時は秋川市と五日市町は行政が別々だった影響で、松村さんが牧場へ交渉しても難航した。合併であきる野市が誕生したことを機に再挑戦したものの、交渉は実らなかった。それでも粘り強く通ううちに「松村さんの店1軒だけで扱うなら」との条件で了解を得た。
「東京都内でも美味しい牛肉がある」と評判になり、マスコミが取り上げたことで売り上げは上昇。都心の料理店でも秋川牛を押し出したメニューが見られ、中でもソムリエの田崎真也氏がオーナーを務めるレストランで取り扱いがあったことでも有名になった。
また、昔から伝わる団子汁をアレンジして秋川牛を加えた「だんべえ汁」は、平成24年の「第1回多摩げた食の祭典大多摩B級グルメ」で初代ゴールドグランプリを獲得。秋川牛の美味しさと知名度を証明した出来事だった。
秋川牛が、様々な面であきる野市の町おこしに大きく貢献した。その源は、松村さんの粘り強い交渉から始まっている。
木の温もりと吹き抜けの明るさで満ちたログハウスコテージの室内
◇◆◇
「リバーティオ」は、もとは市が運営したキャンプ場の跡地にある。森林組合に委託された後、経営難のために閉鎖に。松村さんの自宅から川を挟んだ対岸にあるだけに、「片付けて使えるなら」と市と交渉し、運営することになった。
周りは大手ホテルがないので宿泊施設の競争は少なく、適度な観光地なので集客が望める環境だ。バーベキューハウスを設置しているものの、レストランは敢えて造っていない。バーベキューやログハウスのキッチンで調理するなら、近隣の商店で買い物をしてもらうために。食事をするなら、飲食店に入ってもらうために。地域に行楽客を集め、地域が潤うようにとの作戦だ。
「こういうことが好きだから」と、新たな事業に75歳の瞳は若々しく輝く。跡を継ぐ41歳の長男・兼房さんに店を任せ、自らは建設現場へ足を向ける。今年の夏からは秋川牛でバーベキューを楽しむ人たちの歓声が、渓谷にこだましそうだ。
【東京食肉新報2015年5月号掲載】
「リバーティオ」は、もとは市が運営したキャンプ場の跡地にある。森林組合に委託された後、経営難のために閉鎖に。松村さんの自宅から川を挟んだ対岸にあるだけに、「片付けて使えるなら」と市と交渉し、運営することになった。
周りは大手ホテルがないので宿泊施設の競争は少なく、適度な観光地なので集客が望める環境だ。バーベキューハウスを設置しているものの、レストランは敢えて造っていない。バーベキューやログハウスのキッチンで調理するなら、近隣の商店で買い物をしてもらうために。食事をするなら、飲食店に入ってもらうために。地域に行楽客を集め、地域が潤うようにとの作戦だ。
「こういうことが好きだから」と、新たな事業に75歳の瞳は若々しく輝く。跡を継ぐ41歳の長男・兼房さんに店を任せ、自らは建設現場へ足を向ける。今年の夏からは秋川牛でバーベキューを楽しむ人たちの歓声が、渓谷にこだましそうだ。
【東京食肉新報2015年5月号掲載】
素材の味が生きた塩・豚肉じゃが
シンプルな塩の味付けで素材の味を楽しめる肉じゃが
牛肉たっぷり「ハッシュドビーフ」
簡単なのに、牛肉もご馳走感もたっぷり
ローストビーフ・サラダ
見た目が華やかでヘルシー感もあるのにご飯にも合うローストビーフ
骨付き豚バラのキムチ鍋
豚肉の骨から出汁が出てコクと旨味がじゃがいもに染み込むキムチ風の肉じゃが
野菜たっぷりのハンバーグシチュー
ハンバーグだけでなく、たっぷりな野菜も楽しめる煮込みシチュー
ローストチキン
クリスマスの定番。ひと手間かけて丸鶏を美味しく
ビーフかつめし
ビーフの薫り高いカツにデミグラスソースが決め手
チーズ入り鶏むね肉唐揚げ
むね肉にチーズを加えて旨味を追加したから揚げ