ミート&デリカみや
芝浦市場内の仲卸会社を長男が経営するため、銘柄黒毛和牛をどこよりも格安で販売している肉屋さんが、ミート&デリカみや(板橋支部)だ。店を引き継いだ次男は、50年間続いた惣菜の手作りにこだわり、注文を受けてから揚げている。
〝よく働きよく遊んだ〟創業者も「商売を子どもたちが大きくしてくれた」と目を細める。
〝よく働きよく遊んだ〟創業者も「商売を子どもたちが大きくしてくれた」と目を細める。
店主より一言
宮欣司さんは昭和12年8月生まれの73歳。新潟県北魚沼郡川井村(現在は小千谷市)の出身。中学を出て武蔵小山の宮精肉店で1年半働いたが、10倍の給料に誘われて豆腐屋に移った。ところが寒い頃でシモヤケに悩まされて一冬で断念。再び肉屋に戻った。
こんどは赤羽にあった太田屋に入り、肉屋の本当の修業をした。そして7年が過ぎた35年7月、現在地の真ん前にあったマーケットの中で「肉の太田屋」を創業した。
翌年の冬、同郷のはたちの栄子さんが「ちょっと手伝いにきたつもり」がそのまま今まで一緒に暮らすことになった。
店舗情報
連絡先 |
TEL:03-3955-3680 FAX:03-3955-9272 |
---|---|
住所 | 〒173-0031 板橋区大谷口北町79-5 |
URL | http://meatmiya.com/index.html |
店舗PR、お知らせなど
マーケットに15年
太田屋の社長であった斉藤斗誌位城北ブロック長(当時)に、37年4月結婚式をやってもらい、店もさがしてもらって大変お世話になった。 近くに公団や都営住宅が建ち始めた頃、そばに日大板橋病院もあって、「コロッケが5円、毎年毎年売り上げが伸びて楽しかった時代」。
39年に長男の健一さん、43年に次男の良太さんが生まれた。
「仕事もよくやったけど、よく遊んだ」
20代は草野球、30代はボーリング。40代からはゴルフに夢中。
「空いていて安いからと店の定休日を火曜に変えたこともあった。早朝の暗いうちから2ラウンド半回ってキャディに嫌がられたことも」
子どもたちも受け継いで、みんなゴルフが好き。健一さんはシングルの腕前だ。
事故で2か月休業
61年の暮、宮さんは配達中に交通事故に合い足を複雑骨折、2か月間店を休んだ。栄子さんが納めだけは続けたが、健一さんに話をした。健一さんはその時、大学進学をせずに日本ハムに就職して4年、木更津営業所で新人賞をとるなどトップセールスマンとして活躍していた。それでも帰ってきてくれた。
「現場のことを即席で教えたけど、やる気でやるから早かった。でもそのうち『こういう店でいると売り上げが上がらない。俺の好きなようにさせてくれ』と言ってきたのでまかせた」
平成2年、店を改装して「ミート&デリカみや」に屋号を変更。「肉の太田屋」創業から30年目だった。
「改装して1年は目茶苦茶売れた」
兄から弟へ引継ぎ
次男の良太さんは大学を出て都内のホテルへ就職。1年経ってみたものの不規則な勤務に、月8日の休み。リトルリーグから大学まで野球漬けだった体もなまり、2か月で15㎏以上の激太り。トレーニングジムに通う毎日だった。
そんな時「今の給料の倍以上稼げるぞ」という兄からの誘いにふたつ返事でOK。店に入ってからは夜の9時まで店をやり、その後兄の手伝いに芝浦へ通った。
「2、3時間仮眠をとって配達に出ていました。今思えば無茶でしたね」
健一さんはそれから㈱ミヤミートの代表となり、東京食肉市場仲卸1057号としてA4・A5の黒毛和牛を専門に扱い、商社や全国の百貨店・大手スーパーなどを顧客に持ち、食肉組合も㈱ミヤミートの黒毛和牛を取り扱っている。
太田屋の社長であった斉藤斗誌位城北ブロック長(当時)に、37年4月結婚式をやってもらい、店もさがしてもらって大変お世話になった。 近くに公団や都営住宅が建ち始めた頃、そばに日大板橋病院もあって、「コロッケが5円、毎年毎年売り上げが伸びて楽しかった時代」。
39年に長男の健一さん、43年に次男の良太さんが生まれた。
「仕事もよくやったけど、よく遊んだ」
20代は草野球、30代はボーリング。40代からはゴルフに夢中。
「空いていて安いからと店の定休日を火曜に変えたこともあった。早朝の暗いうちから2ラウンド半回ってキャディに嫌がられたことも」
子どもたちも受け継いで、みんなゴルフが好き。健一さんはシングルの腕前だ。
事故で2か月休業
61年の暮、宮さんは配達中に交通事故に合い足を複雑骨折、2か月間店を休んだ。栄子さんが納めだけは続けたが、健一さんに話をした。健一さんはその時、大学進学をせずに日本ハムに就職して4年、木更津営業所で新人賞をとるなどトップセールスマンとして活躍していた。それでも帰ってきてくれた。
「現場のことを即席で教えたけど、やる気でやるから早かった。でもそのうち『こういう店でいると売り上げが上がらない。俺の好きなようにさせてくれ』と言ってきたのでまかせた」
平成2年、店を改装して「ミート&デリカみや」に屋号を変更。「肉の太田屋」創業から30年目だった。
「改装して1年は目茶苦茶売れた」
兄から弟へ引継ぎ
次男の良太さんは大学を出て都内のホテルへ就職。1年経ってみたものの不規則な勤務に、月8日の休み。リトルリーグから大学まで野球漬けだった体もなまり、2か月で15㎏以上の激太り。トレーニングジムに通う毎日だった。
そんな時「今の給料の倍以上稼げるぞ」という兄からの誘いにふたつ返事でOK。店に入ってからは夜の9時まで店をやり、その後兄の手伝いに芝浦へ通った。
「2、3時間仮眠をとって配達に出ていました。今思えば無茶でしたね」
健一さんはそれから㈱ミヤミートの代表となり、東京食肉市場仲卸1057号としてA4・A5の黒毛和牛を専門に扱い、商社や全国の百貨店・大手スーパーなどを顧客に持ち、食肉組合も㈱ミヤミートの黒毛和牛を取り扱っている。
良太さんが兄から教わって店を始めて20年。店売りの牛肉は兄のところのA4・A5の和牛を販売。また惣菜は注文を受けてから揚げている。効率が悪く大量販売ができないが、揚げ立ての美味しさにはこだわっている。小さなお肉屋さんだからできることが専門店の魅力だと思う。
また、お店をやりながらも外商に力を入れ、朝6時から学校・官庁・病院・ホテルなどへ都内をくまなく配達している。ここ数年、外商で店を空けることが多くなって、使う人も車も増えた。
「しかし、昔ながらの専門店には、いつもいる顔が必要と思い、親父もお袋も年を取ったし、外商は一区切りにしてお店に力を入れています。外商で色々なお店を見ていると、売れている店と売れない店が分かるんです。売れている店は主人が元気で明るいですね。明るく元気な人には人間も集まるし、仕事も向こうからやってくるような気がします」
〔2011年(平成23年)1月15日号「東京食肉新報」掲載〕
また、お店をやりながらも外商に力を入れ、朝6時から学校・官庁・病院・ホテルなどへ都内をくまなく配達している。ここ数年、外商で店を空けることが多くなって、使う人も車も増えた。
「しかし、昔ながらの専門店には、いつもいる顔が必要と思い、親父もお袋も年を取ったし、外商は一区切りにしてお店に力を入れています。外商で色々なお店を見ていると、売れている店と売れない店が分かるんです。売れている店は主人が元気で明るいですね。明るく元気な人には人間も集まるし、仕事も向こうからやってくるような気がします」
〔2011年(平成23年)1月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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