大商商事(株)
店舗前で竹内一利社長(中央)と従業員の皆さん
その名の通り昭和の面影を残したような、東急線荏原中延駅近くの昭和通り商店街では、毎月第1土曜日の午後4時から6時の2時間にわたり夕市が行われる。歩行者天国となった通りは様々なお店に足を運ぶ人たちでにぎわう中、大商商事㈱(竹内一利社長、品川区中延)の店舗前には長蛇の列が。その活気に秘められたものとは。
その名の通り昭和の面影を残したような、東急線荏原中延駅近くの昭和通り商店街では、毎月第1土曜日の午後4時から6時の2時間にわたり夕市が行われる。歩行者天国となった通りは様々なお店に足を運ぶ人たちでにぎわう中、大商商事㈱(竹内一利社長、品川区中延)の店舗前には長蛇の列が。その活気に秘められたものとは。
店主より一言
店舗情報
連絡先 |
TEL:03-3784-0141 FAX:03-3784-0143 |
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住所 | 〒142-0053 品川区中延2-14-11 |
店舗PR、お知らせなど
夕市には豚肉が次々と売れていく。右端が竹内社長
並ぶ人たちのお目当ては、国産豚肉の直売だ。同社は卸業専門だが、同商店街の取り組みとして行う夕市の限定で小売りを実施。商店街の活性化に一役買っている。「豚バラ」「豚挽肉」「豚スペアリブ」「豚切りモツ」「豚ネック」とお品書きの文字が店舗前に踊る。無事に商品を手にしたお客は、店舗前で袋の中を覗き込みながら満足そうな表情を浮かべた。
店舗の中では、作業場を即席の小売店に。パックや袋に詰めた豚肉がズラリと並び、グラム数や調理法など簡単に言葉を交わしては、次々とお客が商品を手にしていく。後ろには商品が入ったケースが高々と積み重ねられているが、時には注文された商品がなくなり、慌てて肉を挽いたり、スライサーに向かったりと、裏でも大忙しに。竹内さんも売り場に立ち、全体に目を行き届かせながら接客するような奮闘ぶりだ。
店舗の中では、作業場を即席の小売店に。パックや袋に詰めた豚肉がズラリと並び、グラム数や調理法など簡単に言葉を交わしては、次々とお客が商品を手にしていく。後ろには商品が入ったケースが高々と積み重ねられているが、時には注文された商品がなくなり、慌てて肉を挽いたり、スライサーに向かったりと、裏でも大忙しに。竹内さんも売り場に立ち、全体に目を行き届かせながら接客するような奮闘ぶりだ。
午後4時の開始前から行列ができるほどの盛況ぶり
父のあこがれから
お店の始まりは、竹内さんの父のあこがれがきっかけ。近くの精肉店に枝肉を担いで運んでいる配達員の姿を「かっこいい」と胸ときめかせ、高校を中退して業界に飛び込んだ。現在の地に開業したのは昭和34年頃。小売りを中心に業績が伸びるにつれて、昭和39年あたりから卸業も始めた。
小売りをしながら、スーパーへ届け、学校給食に納め、やがて作業が追いつかないほどに顧客が増加。対応しきれない状況になったため、平成2年に店舗をリニューアルする際に卸専門に改めた。
竹内さんは高校を卒業すると家業に入り、やがて牛肉を学ぶために芝浦の業者へ修行に出た。しかし、父が病に倒れたため、すぐに家業に戻る。もともと家業の仕事をしていたことで業務は滞りなく進み、父が亡くなった後でも顧客は安心して取引を続けることができた。2代目となったのは、今から27年前の35歳の時だった。
多くの顧客に恵まれてきた同社だが、竹内さんに2つの大きな試練が押し寄せた。一つは東日本大震災。店舗運営に支障が出たことだけでなく、豚肉の産地が茨城県産であったことも困難の原因となった。福島県の原子力発電所の事故による放射能の影響で、近隣の農産物が敬遠され、茨城県産の豚肉も顧客から同様に見られてしまう。得意先の静岡県のスーパーからは福島県に近いとの不安から注文が半減した。
2つ目はコロナ禍。学校が休校になったため学校給食がなくなり、その分の売上が消えた。大学もリモートになったため学食用の注文が大幅減少。飲食店も営業できない状況が続き、厳しい状況が続いた。
国難とも言えるような2つの大きなピンチに、どう立ち向かったのか。
「耐えるしかない。対策は何もできなかった」と、竹内さんは当時を振り返る。コロナ禍では、営業に行こうにも先方から敬遠されたが、5類に移行した昨年から徐々に仕事が戻ってきた。
経費節減にも力を入れた。枝肉はその日の分をすべてさばき切ることで在庫を残さず、冷蔵庫を空にして稼働を抑える。最近は電気代も高騰しているので、より意識して取り組んでいる。
お店の始まりは、竹内さんの父のあこがれがきっかけ。近くの精肉店に枝肉を担いで運んでいる配達員の姿を「かっこいい」と胸ときめかせ、高校を中退して業界に飛び込んだ。現在の地に開業したのは昭和34年頃。小売りを中心に業績が伸びるにつれて、昭和39年あたりから卸業も始めた。
小売りをしながら、スーパーへ届け、学校給食に納め、やがて作業が追いつかないほどに顧客が増加。対応しきれない状況になったため、平成2年に店舗をリニューアルする際に卸専門に改めた。
竹内さんは高校を卒業すると家業に入り、やがて牛肉を学ぶために芝浦の業者へ修行に出た。しかし、父が病に倒れたため、すぐに家業に戻る。もともと家業の仕事をしていたことで業務は滞りなく進み、父が亡くなった後でも顧客は安心して取引を続けることができた。2代目となったのは、今から27年前の35歳の時だった。
多くの顧客に恵まれてきた同社だが、竹内さんに2つの大きな試練が押し寄せた。一つは東日本大震災。店舗運営に支障が出たことだけでなく、豚肉の産地が茨城県産であったことも困難の原因となった。福島県の原子力発電所の事故による放射能の影響で、近隣の農産物が敬遠され、茨城県産の豚肉も顧客から同様に見られてしまう。得意先の静岡県のスーパーからは福島県に近いとの不安から注文が半減した。
2つ目はコロナ禍。学校が休校になったため学校給食がなくなり、その分の売上が消えた。大学もリモートになったため学食用の注文が大幅減少。飲食店も営業できない状況が続き、厳しい状況が続いた。
国難とも言えるような2つの大きなピンチに、どう立ち向かったのか。
「耐えるしかない。対策は何もできなかった」と、竹内さんは当時を振り返る。コロナ禍では、営業に行こうにも先方から敬遠されたが、5類に移行した昨年から徐々に仕事が戻ってきた。
経費節減にも力を入れた。枝肉はその日の分をすべてさばき切ることで在庫を残さず、冷蔵庫を空にして稼働を抑える。最近は電気代も高騰しているので、より意識して取り組んでいる。
豚バラやスペアリブ、ひき肉、モツなど、並べては次々と売れていく
早さも美味しさに
扱っている豚肉は、豚が健康に飼育されるよう配慮された日本SPF豚協会の認定を受けた茨城県の牧場から仕入れている。茨城県で処理した枝肉は、次の日には4トン車2台で店舗へ届けられカット、その次の日には静岡のスーパーや学校などに納められる。
夕市のお客からは「お肉屋さんのお肉だから美味しい」と好評で、「そう思って頂けるのは大変ありがたい。特別なことはない。違いと言えば鮮度かな」と、竹内さん。素早い動きで食卓へ届ける仕組みも美味しさの秘密のようだ。一時は父が茨城県で土地を開拓して養豚場を営んだほどで、豚肉への情熱が感じられる。
東日本大震災とコロナ禍を乗り越えても、食肉業界の厳しさは相変わらずだ。それでも、同社と顧客とのつながりは確かなものになっている。一番身近な例を挙げれば、直接反応が伝わってくる夕市のお客と、店頭にできる長い行列。それを見たら、商店街でも納め先でも、同社の豚肉を手にした満足感が高いという何よりの証となるだろう。
「東京食肉新報」2024年(令和6年)3月号掲載
扱っている豚肉は、豚が健康に飼育されるよう配慮された日本SPF豚協会の認定を受けた茨城県の牧場から仕入れている。茨城県で処理した枝肉は、次の日には4トン車2台で店舗へ届けられカット、その次の日には静岡のスーパーや学校などに納められる。
夕市のお客からは「お肉屋さんのお肉だから美味しい」と好評で、「そう思って頂けるのは大変ありがたい。特別なことはない。違いと言えば鮮度かな」と、竹内さん。素早い動きで食卓へ届ける仕組みも美味しさの秘密のようだ。一時は父が茨城県で土地を開拓して養豚場を営んだほどで、豚肉への情熱が感じられる。
東日本大震災とコロナ禍を乗り越えても、食肉業界の厳しさは相変わらずだ。それでも、同社と顧客とのつながりは確かなものになっている。一番身近な例を挙げれば、直接反応が伝わってくる夕市のお客と、店頭にできる長い行列。それを見たら、商店街でも納め先でも、同社の豚肉を手にした満足感が高いという何よりの証となるだろう。
「東京食肉新報」2024年(令和6年)3月号掲載
素材の味が生きた塩・豚肉じゃが
シンプルな塩の味付けで素材の味を楽しめる肉じゃが
牛肉たっぷり「ハッシュドビーフ」
簡単なのに、牛肉もご馳走感もたっぷり
ローストビーフ・サラダ
見た目が華やかでヘルシー感もあるのにご飯にも合うローストビーフ
骨付き豚バラのキムチ鍋
豚肉の骨から出汁が出てコクと旨味がじゃがいもに染み込むキムチ風の肉じゃが
野菜たっぷりのハンバーグシチュー
ハンバーグだけでなく、たっぷりな野菜も楽しめる煮込みシチュー
ローストチキン
クリスマスの定番。ひと手間かけて丸鶏を美味しく
ビーフかつめし
ビーフの薫り高いカツにデミグラスソースが決め手
チーズ入り鶏むね肉唐揚げ
むね肉にチーズを加えて旨味を追加したから揚げ