(株)三河屋
牛豚の精肉はもちろん生の内臓肉がショーケースに。小野田眞和社長(右から2人目)と従業員の皆さん
店舗に入ると、まず品数の多さが一目で伝わってくる。牛豚の精肉はもちろん、焼肉や鍋物に最適な内臓肉がズラリとショーケースに並ぶ。店内をぐるりと囲む冷蔵庫には、ありとあらゆる内臓肉を小分けに袋詰めしてあり、その種類の豊富さに圧倒される。この品ぞろえを頼りに㈱三河屋(小野田眞和社長、荒川区荒川)には、飲食店などの業者や焼肉ファンのお客が絶えない。
店舗に入ると、まず品数の多さが一目で伝わってくる。牛豚の精肉はもちろん、焼肉や鍋物に最適な内臓肉がズラリとショーケースに並ぶ。店内をぐるりと囲む冷蔵庫には、ありとあらゆる内臓肉を小分けに袋詰めしてあり、その種類の豊富さに圧倒される。この品ぞろえを頼りに㈱三河屋(小野田眞和社長、荒川区荒川)には、飲食店などの業者や焼肉ファンのお客が絶えない。
店主より一言
店舗情報
営業時間 | 8:00~17:00(定休日:毎週日曜日 / 祝祭日) |
---|---|
連絡先 |
TEL:03-3891-1563 FAX:03-3802-3659 |
住所 | 〒116-0002 荒川区荒川1-35-4 |
URL | mikawaya-meat.co.jp |
店舗PR、お知らせなど
種類豊富な内臓肉を袋詰めにしてズラリと並べてある
「芝浦の良いところの内臓肉が生でそろっています。お客のニーズを聞いたり、問い合わせに応えたりしていたら、この品揃えになりました。アイテム数は数えたことないけど、150くらいはあるかな」と、小野田さんは商品の充実ぶりに胸を張る。
牛、豚、それぞれのパーツがそろい、焼肉や鍋物、煮込み料理など、対応できない料理はないのではと思うような内容だ。まさに「頭のてっぺんから足のつま先まで全て」あるように見える。
レバーは鮮度を保つため細かくカットせず、生のままブロック状で提供。豚のつなぎは、舌・軟骨・ハツ、ハラミとつながった状態でショーケースに並ぶ。近ごろ流行りのハラミは特上、上、中、並みの4種類あり、一般消費者にも人気だ。
冷蔵庫を見れば、煮込み用の上モツを始め、牛の小腸やフワ、テール、牛タン、豚トロ、豚耳、豚アミ脂など、枚挙に暇がないほどに様々な料理に使える品揃え。それらを美味しくするオリジナルのタレも備える。特に近隣の韓国料理店からのニーズが高く、注文を聞きながら調理法を教わるなどを積み重ね、アイテム数が増加してきただけでなく、おいしい食べ方も一般のお客へ伝えている。
こうした品揃えは、100年にわたる同店の歴史の縮図でもある。
牛、豚、それぞれのパーツがそろい、焼肉や鍋物、煮込み料理など、対応できない料理はないのではと思うような内容だ。まさに「頭のてっぺんから足のつま先まで全て」あるように見える。
レバーは鮮度を保つため細かくカットせず、生のままブロック状で提供。豚のつなぎは、舌・軟骨・ハツ、ハラミとつながった状態でショーケースに並ぶ。近ごろ流行りのハラミは特上、上、中、並みの4種類あり、一般消費者にも人気だ。
冷蔵庫を見れば、煮込み用の上モツを始め、牛の小腸やフワ、テール、牛タン、豚トロ、豚耳、豚アミ脂など、枚挙に暇がないほどに様々な料理に使える品揃え。それらを美味しくするオリジナルのタレも備える。特に近隣の韓国料理店からのニーズが高く、注文を聞きながら調理法を教わるなどを積み重ね、アイテム数が増加してきただけでなく、おいしい食べ方も一般のお客へ伝えている。
こうした品揃えは、100年にわたる同店の歴史の縮図でもある。
精肉にはない細かい作業をしながら次々とさばく
焼肉ブームで勢い
創業は大正11年と古く、祖父・佐七さんが現在の店舗の近隣にあった小さなと場で入手した内臓肉を三河島のコリアンタウンで売り歩いたことに始まる。やがてと場は合併して芝浦へ。次第に仕入れする品数も増え、規模を拡大。地域では良質の内臓肉が買えると評判になった。
2代目の父・守孝さんは、昭和40~50年代の焼肉ブームの波に乗り勢いを得た。浅草で多くの飲食店の顧客を持ち、販路をさらに拡大。食肉市場で朝に仕入れたものがその日の午後に入手できるとあって、内臓肉の品ぞろえの豊富さと品質の良さが口コミでも広がっていき、近隣の韓国料理店が仕入れに来るだけでなく、ホルモン焼きの美味しさを知った多くの一般のお客も足を運ぶようになった。
「継ぐつもりはなかった」という小野田さんは、所帯を持ったことを機に家業へ。当時は入荷量が多く、朝から夜まで内臓肉をさばき、掃除をし、余ったものは箱詰めして冷凍と、多忙を極めた。当時は指定の荷主が持ってきたものは全て買い取る仕組みになっていたので、大量の商品を売りさばくのも大変だった。
やがて後継者として、店舗での実務や渉外業務、会社の経営などに必要な知識や実力を蓄え、3代目社長に。機を同じくするように、父が社長就任時に建てた木造の店舗から、ガラス張りで近未来を思わせるデザインのテナントビルを建設し、その1階に店舗を構えた。父から後継として認められた証でもあった。
創業は大正11年と古く、祖父・佐七さんが現在の店舗の近隣にあった小さなと場で入手した内臓肉を三河島のコリアンタウンで売り歩いたことに始まる。やがてと場は合併して芝浦へ。次第に仕入れする品数も増え、規模を拡大。地域では良質の内臓肉が買えると評判になった。
2代目の父・守孝さんは、昭和40~50年代の焼肉ブームの波に乗り勢いを得た。浅草で多くの飲食店の顧客を持ち、販路をさらに拡大。食肉市場で朝に仕入れたものがその日の午後に入手できるとあって、内臓肉の品ぞろえの豊富さと品質の良さが口コミでも広がっていき、近隣の韓国料理店が仕入れに来るだけでなく、ホルモン焼きの美味しさを知った多くの一般のお客も足を運ぶようになった。
「継ぐつもりはなかった」という小野田さんは、所帯を持ったことを機に家業へ。当時は入荷量が多く、朝から夜まで内臓肉をさばき、掃除をし、余ったものは箱詰めして冷凍と、多忙を極めた。当時は指定の荷主が持ってきたものは全て買い取る仕組みになっていたので、大量の商品を売りさばくのも大変だった。
やがて後継者として、店舗での実務や渉外業務、会社の経営などに必要な知識や実力を蓄え、3代目社長に。機を同じくするように、父が社長就任時に建てた木造の店舗から、ガラス張りで近未来を思わせるデザインのテナントビルを建設し、その1階に店舗を構えた。父から後継として認められた証でもあった。
周辺でも特に目を引くデザインの店舗ビル
次なる100年へ
1階の小売店の奥だけでなく、地下にも作業場がある。山と積まれた内臓肉に向かい、スタッフがナイフを手に黙々とさばいていく。年齢層は幅広いながらも、若い顔もあり社内全体に活気と明るさが満ちる。
実は中途採用のスタッフは、初めから食肉業界で務めていたとは限らない。レストランや飲食店の経験者、中には大工の親方だったということも。採用のポイントは「ナイフが使えるか。他で経験していれば即戦力になる」。業種の垣根を超えたスタッフにより、様々な視点で生き生きと業務に取り組んでいる。
小野田さんが家業に入った当時の従業員は職人気質。「社長の息子」の小野田さんへは、さらに風当たりが強かった。社長になってまず取り組んだことは、そのような雰囲気をなくすことだった。
現在取り掛かる大きな仕事は後継育成。次期社長を従業員から出して託すことを視野に、ベテランにも若手にも、新しい時代への布石を打つ。「この仕事を長く続けられるようにしたい」と小野田さん。お店はもちろん、種類の数だけ楽しみがある内臓肉の食文化を伝えていくため、次の100年へ歩み始めた。
1階の小売店の奥だけでなく、地下にも作業場がある。山と積まれた内臓肉に向かい、スタッフがナイフを手に黙々とさばいていく。年齢層は幅広いながらも、若い顔もあり社内全体に活気と明るさが満ちる。
実は中途採用のスタッフは、初めから食肉業界で務めていたとは限らない。レストランや飲食店の経験者、中には大工の親方だったということも。採用のポイントは「ナイフが使えるか。他で経験していれば即戦力になる」。業種の垣根を超えたスタッフにより、様々な視点で生き生きと業務に取り組んでいる。
小野田さんが家業に入った当時の従業員は職人気質。「社長の息子」の小野田さんへは、さらに風当たりが強かった。社長になってまず取り組んだことは、そのような雰囲気をなくすことだった。
現在取り掛かる大きな仕事は後継育成。次期社長を従業員から出して託すことを視野に、ベテランにも若手にも、新しい時代への布石を打つ。「この仕事を長く続けられるようにしたい」と小野田さん。お店はもちろん、種類の数だけ楽しみがある内臓肉の食文化を伝えていくため、次の100年へ歩み始めた。
素材の味が生きた塩・豚肉じゃが
シンプルな塩の味付けで素材の味を楽しめる肉じゃが
牛肉たっぷり「ハッシュドビーフ」
簡単なのに、牛肉もご馳走感もたっぷり
ローストビーフ・サラダ
見た目が華やかでヘルシー感もあるのにご飯にも合うローストビーフ
骨付き豚バラのキムチ鍋
豚肉の骨から出汁が出てコクと旨味がじゃがいもに染み込むキムチ風の肉じゃが
野菜たっぷりのハンバーグシチュー
ハンバーグだけでなく、たっぷりな野菜も楽しめる煮込みシチュー
ローストチキン
クリスマスの定番。ひと手間かけて丸鶏を美味しく
ビーフかつめし
ビーフの薫り高いカツにデミグラスソースが決め手
チーズ入り鶏むね肉唐揚げ
むね肉にチーズを加えて旨味を追加したから揚げ