ビーフギャラリーを併設
〜肉の越後屋(練馬支部)の取り組み〜
(上)越後屋ビルの外観。
(左)「肉の越後屋」精肉部門。
練馬支部の「肉の越後屋」は『ビーフギャラリー・エチゴヤ』を併設して、60名様までのパーティで賑わっている。また、昭和45年から約6年間、手塚治虫の制作室として使われたことがある。
母親の言葉を胸に
高橋源治さんは昭和9年3月生まれの76歳。新潟県東頸城郡松代(まつだい)町(現十日町市)で生まれた。男ばかり6人の兄弟の三男坊だ。東京へ出て来る時に母親に言われた。
「人間は自分の土地に井戸を掘って、そこで生活できるまでがんばれ」
荻窪の松屋で丸6年修業。芝浦・川口・大宮の市場を毎日回って、肉のことを学んだ。
(上)手塚治虫氏直筆のサイン入り原画。
(下)手塚氏は平成元年2月9日、60歳で
亡くなった。葬儀の時のお返しの
朱肉入れ=B
32年9月23歳で「肉の越後屋」を創業した。浅草鳥越の寿司屋の娘だった充子(みちこ)さんと結婚。
「その頃は練馬大根が全国に知られていたが、キャベツ畑が多かった。女房のおかげで発展できた。でも先に逝かれてしまった」
平成14年に64歳で亡くなった。
一時は支店が8軒
修業時代は卸で苦労したため、小売だけにすると肉屋が一番売れた時代≠ノ当たり、支店が8軒、従業員が30人に達したこともあった。
弟の久四郎さんが板橋区徳丸で、盛義さんが蓮根で、音松さんが清瀬市でお店を持っている。
高橋さんは『持ち家制度』を築いた。30人の従業員にすべて家を持たせてあげた。今皆さん恵まれた老後を送っている。
手塚治虫の制作室
昭和45年、現在の4階建てのビルに建て替えた。その際、2・3階が手塚治虫の制作室になった。約6年間、そこから『火の鳥』や『三つ目がとおる』などの名作が生まれた。
その当時、手塚氏より直筆の作品パネルを寄贈されて、今も大切に保管している。また、この縁により、毎年、越後屋では『手塚治虫カレンダー』をお得意様に贈って喜こばれている。
2代目・雅美さん
同じ45年から49年まで源治さんは石神井支部長に就き、51年から54年まで本部理事に就任した。
今、練馬区食品衛生協会会長として7年目。厚生労働大臣表彰・都知事表彰も受賞している。
源治さんには子どもがふたり。雅美さんは33年10月生まれの52歳。
立教大学経済学部を卒業してから、クイーンズ伊勢丹(当時は伊勢丹ストア)で2年間、スーパーの勉強をして店に入った。
その時の仲間だった京子さんと結婚して、26年が過ぎた。
「商売をしたことのない家庭から来たので、新婚の時泣いてたらしい」
(左から)大西さん、高橋源治さん、高橋さん、高橋雅美・京子さん。
中央の高橋さんは雅美さんが生まれた年の4月から一緒に。
(上)『ビーフ・ギャラリー』のたれ幕。
(下)60席ある2階の内部。
ステーキ屋を開業
やがて、郊外なので大型のスーパーが続々と出店、ショッピングセンターもできて小売が先細りになっていった。
60年、2階が空いたのを機にステーキ屋を始めた。雅美さんの妹の久美さんが幼稚園の教員だったが、スタートを手伝ってくれて、これが当たった。
そのうち「若い子が来た時にいっぱい食べたい」という要望に応えて『食べ放題』をメニューに加えた。
『ビーフギャラリー・エチゴヤ』は夕方5時半から夜9時まで、月曜日が定休日。歓送迎会など予約の客が多い。ステーキ・しゃぶしゃぶ・焼肉・すき焼と全て肉料理。
「肉屋だから、一番美味しく食べる方法がわかる。それと無駄が出ない。お刺身なども予約して頂けば揃えます」
カレーショップも
平成14年には、1階の店の隣にあった魚屋が出た所で、カレーショップを始めた。
昨年11月にテレビ朝日の夕方の番組で「お肉屋さんのカレーだからカツが厚くて美味しい」と紹介されて、電話が鳴り放しになった。
小売から出発して外食に活路を見出してここまで来た。売り上げは今半々だ。これからについて雅美社長が語る。
「小売はやめない。僕の予想ではこれからまた伸びると思います。欧米の大きなスーパーでも今、パックだけでなく対面で売っている。専門店的なディスプレイで洒落た売り方をすれば、まだ伸びるという夢を描いている。小売にもう一度力を入れてみたい」
夢と希望を持って
雅美さんにも子どもがふたり。長男の秀幸さんがやはり立教大学経済学部を卒業して、大田区の弁当屋さんで修業して2年が経とうとしている。次男の和雅さんは大学2年生。3代目の誕生に期待がかかる。
昨年の大晦日の夜、アルバイト・パート・社員・家族28人が集まっての忘年会で、源治会長が挨拶した。
「今は張り合いがない世の中だけど、みんな『夢と希望を持って』」
昨年の暮に自宅を建て替えて、3月には喜寿を迎える。体を健康にして夢の実現に走る。
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1階の精肉左にはカレーショップ
〔2011年(平成23年)2月15日号「東京食肉新報」掲載〕
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